アルファブロガーの存在

はてなブックマーク人気エントリー(人気のあるサイト、ブログに限らず)をチェックしている。

さすがに人気の高いサイトは、私にも興味の引く話題があったり、開くとつい読みふけってしまう魅力ある内容であったり、分量はあっても読みやすいことが多い。私自身、いいと思ったらすぐにブックマークする癖をつけ始めたのだが、これが結構楽しくて、始めてしまうと時が経つのが早くていかん。困ったものだ。


一つ、勉強になったことがある。読者が多く、メッセージの影響が広範囲に及ぶブロガーのことを「アルファブロガー」と呼ぶのだそうだ。次点で人気の高いブロガーは「ベータブロガー」と呼ぶのだとか。日本ではまだ、米国ほどアルファブロガーの影響力は大きくないというが、将来的には分からないのだという。

彼らは“社会的な”記事を書くことで人気を博すことも多いようなので、世間に思わぬ影響を及ぼすこともあるかもしれない。たとえば、アルファブロガーが議員に立候補すると選挙で強そうだ。

ひょんなことから偶然発見した用語だったが、彼ら「アルファブロガー」の存在には、いろいろと考えさせられるものがある。実際、各所で以下のような議論を呼んでいるようだ。

  • Web記事(ブログ等)と既存メディア(新聞、テレビ等)の対立
  • 無名の人物が、著名な知識人に対して、同等の発言力を有するようになること
  • 匿名性の高い掲示板(2ちゃんねるなど)・ブログ・SNSの比較

上記の議論はさておき、なぜ特定のブログに人気が集中するのだろう。それを少し考えてみた。

読者は、自分にとってアクの強い、もしくは耳に痛い内容を読むことは嫌うのが一般的だろう。心を強く持って、真摯に内容を受け止めるべく、あえて自分にはなかった主張力の強い記事を求めることもあるが、これはよほど精神的に安定しているときだけだと思う。より根本を探れば、

  1. 既存メディアとどうも意見が合わない
  2. 自分は浮いた存在なのだろうか、と心配になり、立つ地がない(どの集団からもかけ離れている)錯覚に陥る
  3. 己の居場所を探したいのだが、“統一見解”であるかのように振る舞う既存メディアの主張には追従したくない
  4. あまり手広くやっていない、心からうなづける記事、自分が納得のできる記事を求める
  5. 自分に合う記事を探した結果、該当するブロガーに巡り会う
  6. 1で考えていた己の意見の正当性を再確認し、同時にブロガーの考えを受け入れることで、「居場所を発見した」と実感する
  7. 自分を理解してくれる人が見つかった!!

最後の方はちょっと無理があるかな。けれど結局、このような流れで人は己の立場を明確にして、自分が俗世の構成要員であることを常に認識していたいのだと思う。

ならば、アルファブロガーが記述する内容は、その時代の人々の共感を呼びやすいものであったり、一部なりとも民意を反映したものであるはずだ。

これまで、ニッチな(だが、確実に一定量存在する)イデオロギーを留めておく受け皿が、メディアに備わっていなかったように思う。少数意見は分散し、大勢に反する言葉はもみ消され、大衆の中で生き残ることが少なかった。「誰かがあげるべき声」はほとんど上がらず「そうだ!」「素晴らしい!」の勢いで世論を決めていく。


日本人は、「右へならえ」が大好きな民族だ。自分の意見をはっきり示すことで、他人から嫌われることを恐れる。海外の多くの国では、これがバカにされる要因になっているらしいが、日本国内では違う。「沈黙」「何となく合わせる」「場に合わせて賛同する」が、日本人の間では賢いこととされる。

私のように、他人にとってどうでも良いことをだらだらと喋るヤツは損をする。逆に、響きの美しい話を盲信し褒め称えることや、為政者を槍玉に挙げて指弾すること、誰かが実行した過去の行いを批判することで集団意識を達成し、みんなの仲間に入った気になることができる。それが日本だ。

アルファブロガーの記事や、頻繁に匿名掲示板に噴出する(一見すると)異端児的な意見は、この世界に打ち込まれたくびきを引き抜く抵抗運動なのだと思う。彼らは、これまでやりどころのなかった意見を思う存分書くことのできる新天地を得た。


堀江社長の出現で議論がわき起こり、既存メディアからネットの弱点をつつかれたようだが、もともと既存のメディアとは出だしの段階で相性が悪いことは間違いないと思う。ネット上で活躍する無名の投稿人たちは、既存メディアに“No”を突きつけるところから活動に入ったのだから。既存のジャーナリズムに満足している人たちは、ネット上で暴れ回る必要がないので、おのずとネット上の人口も少ないように見える。まぁ実際には世代なども影響しているように思うけど。

新聞には、インターネットを否定するようなジャーナリストの意見が数多く書き立てられていたが、その内容は大抵、無名人のWeb記事(アルファブロガー含む)へのアンチテーゼであったり逆説的な肯定であったりして、しっかりと“勝負”になっていたように思う。

このような事態は、かつてなかった。

匿名のブロガーと実名のジャーナリストが、それぞれのメディアの上で戦っている。これは、私にある種の感動を呼んだ。Web記事と新聞、両方を読んでいる者にしか分からないと思う。

本人たちは意識して記事を書いていないかもしれないが、端から見ているとそう感じる。どちらも必死さが感じられるが、悪いことではないと思う。


以下の企画が面白いと思ったので紹介させてもらおう。

日本のアルファブロガーを探せ2004
http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=386


私自身は、アルファブロガーにもジャーナリズムにも知識人にも興味はない。いやあることはあるが、無いと言っておかないと続きを書きたくなってしまうだろう。恣意的に、日々雑記のネタを探すべく、新聞、テレビ、ラジオ、Web記事に目を光らせるだけである。できれば異なる話題を。今回は、アルファブロガーという言葉を利用させていただいた。

ちなみに私が比較的好きな話題は、風刺と下ネタである。