SNSが日本で流行るかどうか

ブックマークしている人が多かったので、以前から若干気にしている記事である。

日本で「SNS」がはやらぬワケ
http://www.yukan-fuji.com/archives/2005/06/post_2591.html

私はmixiしかチェックしておらず、それ以外に手を出す余力はないが、現状、mixiには加入しているだけで利用しているとまでは言えない状況だ。

個人的に感じていること

mixiに関して、まだはっきりと言いたいことがまとまっていない状況なのだが、当初から以下のようには感じており、先に進めていない。

  1. 人間関係にありがちな泥臭さが、露骨な形で見え隠れしている。一言で言うと「汚い」
  2. デザインを改善できない
  3. コミュニケーションツールとして、所々不親切な操作感や設定がある
  4. 制作者側の志と誠意、利用者の要望の到達度が不透明(はてなダイアリーと比較してしまった結果)
  5. 重い
  6. 非常に流行っている

いずれも、個人的に感じたことであるから、他の人はまた違ったイメージを持ったかもしれない。

mixiに参加させてもらった直後、真っ先に感じた印象は「汚れた世界」「流行ってるなぁ」だった。そして、かつて経験したオンラインゲームに、そのイメージを重ねてしまう。

「汚れた世界」という感想については、他の世界、とりわけリアル社会や表のブログ、2ちゃんねるなどが汚れていない、ということではない。入り込みの段階で「より大きな覚悟をいきなり強いられた」ことが問題だった。その象徴が「なるべく本名を入力して下さい」という誘導と、その直後に見た現実のギャップだ。当初は随分と印象が違ったようだが、当初は当初。その行き着いた先が今であり、それだけが真実だ。サービス開始当初が「いい世界」であったのなら、そこから学ぶべき人に学んでもらい、SNSを改善していただきたい。

私が本格参加する上での問題の大部分は、1に集約されている。言いたいことがまとまっていないのは、1についてであって、ここは細かく話すときりがない。

1に関しては、もともとリアルに近づけたコンセプトを持つのが「SNS」であるから、mixiの使い方や求めているイメージが悪い、とする意見もあるだろう。これはまったくその通りだ。汚れた世界を覚悟しないコミュニケーションなどあり得ないから、より親密感のあるコミュニティを志す以上、避けて通れない問題である。ただ、システム的には、「汚れ」を覆い隠すための、もしくは和らげるための、もう少しうまいやり方があると感じている。その点、はっきりとこうしたらいい、と言い切れる提案を出すまでには、もう少し時間がかかりそうである。

2以降は、順次解決されていく問題だろう。

また、6に書いた通り、現状、SNSの流行ペースは十分であると感じる。まだ参加者は増えるだろうし、上記2以降が解決されていけば、私も少しずつ踏み込んでいくことがあると思う。一見すると、中で活動されている方は十分「明るい未来」を見いだしているように思える(ここで懐疑的な見方をせざるを得ないことが「汚い」と感じる理由の一つであるわけだが、それはともかく、見た目は皆さん、楽しんでいらっしゃるようだ)から、SNSの滑り出しとしては十分な戦果があったのではなかろうか。

現実的な問題 … 商業面

ただ、商業的にはTB先の記事にも書かれている通り、閉鎖しているところが相次いでいる以上、難しい所があるのだろう。これは、こうしたらいい、と断言できるものがない。

もう少し利用料金を上げてみてはいかがだろう。SNSの価値を真に見いだした方なら、長く残り続けてくれると思うのだが。もしくは、より新しいビジネスと連携する努力をされてはいかがだろう。現状、アメリカの猿まねをしていないか?日本には日本らしいコミュニケーションとビジネスの結び付け方があると思うのだが……、素人ゆえ、生意気な意見になってしまうかもしれないが。

商業問題の解決と、流行は必ず一致するわけではない。別個で考えるべきだろう。

大事なことは棲み分けである

大事なことは「棲み分け」である。現実社会だって、日本人は派閥を作って楽しくやっている。あっちに耳を澄ませば陰の噂が聞こえ、こっちで飲みに行けば互いにバカを言い合いながら楽しくやっている。時折、付き合いで慣れないゴルフにも行かなくてはならない。

日本人は自然と、かつ寡黙に、自分に合わない世界に行かなくなるものだ。これって、我々のご先祖さまが何千年も続けてきたことだろう。美点であり、汚点でもある。

現実に楽しんでいる人がいる。そして、嫌っている人もいる。mixiだろうと表のブログだろうと同じだ。それでいいのではないか?どちらも「爆発的なヒット」を得られることばかりを期待することに無理がある。流行っている、流行っていないの基準は?誰が決めてくれるのだ?私は十分だと判断したが。

流行しているかどうかは、消費者個人が肌で感じることである。そして、商業問題は別途解決策を見いだすべきだ。

無理に流行を定義するのではなく、ここはひとつ、面白い試み、便利なサービスが生まれたことに、素直に乾杯しよう。