成果主義の悲哀

手取り2万円は憲法違反 富士火災社員が仮処分申請
http://www.sankei.co.jp/news/050715/sha099.htm

妻から指摘されて、というのがなんとも悲しい話だ………。能力主義成果主義の極端な例なのだろうなぁ。

先日の「年収100億円サラリーマン」の話は、この逆の例だろう。「100億円?凄いわね。うちのダンナも見習ってくれないかしら」みたいな反応が多くの主婦からあったようだが、成果主義が普及すれば当然、収入の増える人と減る人が出てくる。

成果主義は、職場の競争力を高めて全体で成果を高め、結果として経済力を付けようという発想から生まれている。だが、これまで日本人は十分、身を粉にして働き続けてきた。欧米のように怠け者が集まる地域であれば成果主義は欲しい所だろうが、日本では必ずしもそうはならない。限界をさらに高めようとした挙げ句、破綻して逆戻りする有様が目に浮かぶ。

これまで頑張りすぎた日本では、露骨な成果主義を導入した所で世の中に出回っている金の総量がそう増えるわけではない。トータルで見て、全員の給料が右肩あがりなどという成果主義は発生しないだろう。

「ダンナも見習って………」などと言った人は、ダンナがその壮絶な戦争の渦中に身を置くことと、上記記事にあるような悲惨な事例が世に生み出されることを期待しているということだ。当然、競争は激化し社会はさらに殺伐としたものとなり、隣人が敵となり、大半の負け組家庭の主婦は街中を闊歩するセレブを陰で見つめてドロドロの噂を流す*1。そして、政治は利益誘導主体の衆愚政治と化していく。

現在の主婦たちは、社会不安を煽る政権を余程欲しているらしい。

世の中、9割の人間がとるにたらない人間であり、残りの9割もストイックな努力で才能を補っているのであり、残る1%だけが楽をして勝てるということをもう少し自覚すべきだ。



日本は資本主義社会。これは、無能者を貶め優秀者を優遇するための仕組みだ。

だが、人が集まれば必ず格差が生まれる。優秀な人材のみで構成される集団などありえない。“優秀”と目された人材が集中すれば、その中で優劣が生まれ、優秀な人と無能な人と、平均的なその他大勢に別れていく。無能者の存在あればこそ、優秀な存在が輝いていられる。だから無能は、悪ではない。

職場が頻繁に切り替わる業界にいると、この流れが非常によく見える。ある部署で栄達をほしいままにした人材が、プロジェクトが終了して別の場所に移った時、それまでの活躍と評価がまるで嘘であったかのように苦労を強いられることがある。場の環境やそこにいる人が変われば、発揮すべきポテンシャルが変化するのだ。

今だから「すげえなあ」と羨望の眼差しで見ていられるあの人も、日が変わり所替わればとんでもない落第生であったりするかもしれない。だから私は、大多数の才能は均等であり、飛びぬけた人間は百人に一人という認識を持ち、特定の人間に憧れることがない。スターが生まれても、「ふ〜ん。でもこの仕事はできないよね?それよりも、昨日飲みに行った奴はいい奴だった」で終わりである。

集団として、少数の精鋭をコアに据えて仕事を進めることは合理的だ。だから優秀な人材は「道具」である。

平凡な私としては、全体の和を重視して、優秀者が損をして無能者を見えないところで救う体制が欲しいと感じるし、会社の先輩からは、会社とはそうあるべきだと教わってきた。

  • できのいい奴が損をする。なぜならば、実績のほとんどを、役に立たないオヤジの高給を支払うために使用されて、残りをできの悪い同僚や後輩に均等配分されるからだ
  • できの悪い奴が救われる。なぜならば、仕事をしなくても給料が貰えるし、会社は容易にクビにできないからだ
  • しかし、これらは会社が集団である以上、やむをえない保身策である

資本主義社会である以上、ある程度の競争は見せておかないと、会社自体の競争力が失われてしまう。

一方で、上記にある問題が発生することを防ぐために、労働基準法を設けて極端なルールを作れないようにしている(国民の最低限の生活を保障、などとうたっているのは、結局は国力低下を防ぐためのもので、無能者も国家が存続するために生かしておく必要があるのだ)。

  • 全員が優秀者という状態はありえない。だから、優秀な人間を確保するためにも、無能者をある程度残しておく必要がある

恐らく、これを実践しない会社は生き残れないだろう。



先日、私の周囲にいる親しい男性の勤務先が、親会社に吸収される形で消滅した。だが彼はまだ若く、親会社(名前は出さないが極めて有名な会社である)に普通に移ることになった。

一方で、多くのおじさんたちが職場を追われた。高給取りは、結局そういう運命にある。彼は「役に立たないばかりで高い給料をもらっている連中とオサラバできてすっとした」と言っている。

ただしこの件については、補足しよう。高給取りの存在に関して、親会社はもっと酷いはずだ。一人当たり月80万円で社員を養える会社から、200万円稼がなければやっていけない会社に移っただけのこと。サラリーマンはその点の改善を期待してはいけないし、期待すれば記事のような事例が生じる。そして、サラリーマン以外はもっと過酷な世界で戦っている。

もし無難な家庭を築きたいと思ったのであれば、成果主義の一歩手前くらいがちょうどいい。高給を望むのではなくて、できの悪い奴らに取り分を分けてやっているんだ、という気概を持って欲しい。

*1:よく考えてみたら、セレブが自分の足を使って街中を闊歩するなんてことは少なそうだ。いい車に乗ってお出かけだよな……