モヒカン族と村社会?

「モヒカン度チェック」なるものがあったので、やってみた。
http://blog.goo.ne.jp/rd-xs40user/e/9af4473941dc33a874f7c2bae78ea7a7
以下、私の結果。

あなたのタイプは[タイプ9:ムラ社会的平和主義]です。
http://blog.goo.ne.jp/rd-xs40user/e/9af4473941dc33a874f7c2bae78ea7a7#no9

ところが、そもそも「モヒカン族」の意味が分からないので、はてなのキーワードで調べた所……、なかなか面白い意味があることが分かった。自動リンクが張られているはずなので、知りたい人は「モヒカン族(←これ)」を辿って欲しい。

で、私はそのモヒカン族と対をなす存在「村社会」の住民であるそうだ。調和を求め、敵対を望まないという指摘はなかなか鋭い。

私は確かにモヒカン族宣言などしたことはないが、別に他人を批判しないわけではない。つい昨日も、ゲームブック業界に進歩がないだなんて堂々と批判的なことを書いている(批判しているつもりはないのだが、業界に対しては否定的と見るのが一般的だろう)。それに、自分の言葉で記事を書くという点については、恥ずかしながら、むしろ自分の言葉以外で書くことができないで喘いでいるくらいだ。

どちらかというと、いつも心がけていることは以下のような感じである。

  1. 考えや好みなど、みんな違って当然という前提で他人のブログを読んでいる。たまに意見が合うと嬉しいから、時折巡回する
  2. 他人の意見は他人の意見、直接批判するようなことではない
    • 敵対を望まないという精神に根ざす方針
    • 衝突を招いた所で不毛であるし、そもそも対応している時間が勿体ない
    • ただし自分なりの視点から、雑記上で自分の意見を述べることはあり、それが批判的に見えることはあるかもしれない
  3. 自分と合わない意見や好みを持ち合わせていても問題なし。付き合う上ではたいした障害にならない
    • 相手から拒否されたら仕方がない……
  4. こちらへの批判や反対意見などは、些細な問題である
    • 意見を言った人は、ごまんといる人間の一人でしかなく、人類の意見を代弁しているわけではない
    • 何より、その人と意見が合った所で、私の食事を作ってくれたり、老後の世話を引き受けたりしてくれるわけではない
  5. この雑記は、方向性など最初から存在しない雑記である。言い方を変えれば、何を言いたいのか分からない記事もあり、内容も一貫していない。したがってツッコミどころ満載という意識のもと、駄文を書き連ねている

日常生活においても同じだ。私は他人のすべての意見に同意するつもりはないし、かといって違っていたからといって強引に自分の考えを押しつけるつもりもない。「そうは思わない。以上」で十分だ。



物心付いた人間に、自分の意見を伝染させようという考えは捨てた方がいい。これも以前の上司からの受け売りであるが、成人した人間には何を言っても無駄である。一見、他人の意見を受け入れているかに見える人でも、実際には実践していないことがほとんど。カッコだけである。

だから、奥さんが言うことを聞かないからといって殴るのは無駄だ。相手だってこちらと同じで頭が固い。もちろん、“恐怖”によって行動を支配することはできるかもしれないが、それはまた別の話だろう。

むしろ、好みや意見が合わないからつきあわないとか、そういう姿勢を持った人は何とかした方がいいと思う。無理に合わせるのはやめて、二度とその話題を出さなければ、他の部分でつきあえるだろうし。人生損だ、わざわざそんな理由で人間関係を切り捨てるなんて。まぁ、そちらさんから切り捨てるなら、私も気にしないことにするが……。

会社が新卒を大量採用して、おじさん(二十代後半以上)を受け入れないのは、仕事の質以上に、頭の堅い人間を嫌っているからで。会社の方針を押しつけて受け入れさせることのできる人材の方が都合がいいので、年取った人間を嫌うわけですな。手取り十五万という条件を飲んでくれるくらいの人間なら、四十五歳でも案外採ると思う。

世知辛い世の中、意見や好みでいくつか相違を見つけたからといってたいした問題ではない、という気持ちで生きていくべし、である。お互い。