私にはない座右の銘

プロ野球のテレビ中継の中で、視聴者に対するある選手の紹介が行われていた。その中でも気になったのが、“座右の銘”という言葉だった。「○○選手の座右の銘は△△なのだそうです」という感じで放送されていた。

座右の銘。持っている人って多いのだろうか。私はたぶん、これといった言葉は持っていない。なくても困らないので考えたこともない。

これまでの他の人の例を見ると、座右の銘は誰かほかの、尊敬する人間から受け継いでいる例が多いように思える。恩師とか、スポーツ選手とか、親とか。

だけど私には、そのように言葉を受け継ぎたいと思える相手はいない。あえて挙げるなら聞き心地のいい言葉全部だろうか。でも全部なんて憶えているわけがないし。

字引で調べてみると、座右の銘とは、前提として自分を高めようとする意識を常に持っていなければならないもののようだ。だから自分を高めようとしていない人が「俺の座右の銘は○○だ」などと言っても、それは口だけのことで座右の銘ではないのだろう。

そもそも“自分を高めようとする”状態なんて自分で分かるものなのか?高める…何を?

高める高める高める……。口で言うのは簡単だ。国家試験に合格しようと努力することは自分を高めることなのか?数学の成績を四から五に上げる努力も?体重を減らそうとすること、会社に遅刻しないようにすること、ゲームをクリアしようとすること、モデルがいなくても裸の女性を妄想できるようにすること……。

…なんか後半に進むにつれてレベルが下がっているようにも思えるが、より高みを目指すという意味では同じだろう。

そう考えれば、私などは毎日、自分を高めるべく実践していることになる。

我が家の猫とはだいぶ会話がうまくなったし、十五年前に比べて円周率を四桁長く暗記しているし、地元のスーパーで安売りをはじめる時間帯が昔よりも掴めるようになったために経済効率がいいし、エロ動画のダウンロードテクニックは昔より向上しており、時間効率がいい。最近では、スリッパによるゴキブリ撃墜率が向上、家族に喜ばれている。

まさに向上の日々!素晴らしい!なんて素晴らしい人間だったんだ私は!これなら「座右の銘」を持つべきではないか!

座右の銘」を持っていないなら自分で作ればいいのか?「朝起きて夜寝れば健康」「肉を食ったら野菜も食え」「赤信号は渡るな危険」「鼻毛の切りすぎは風邪のもと」といった感じか。

だけど私が決めると、自分にとって都合のいい言葉だけを羅列しそうで、励ましや戒めにはなりそうにないですな。それに、語彙力がないとこの手のものは作ってもかっこ悪いだけ。

だんだん悔しくなってきた。どうして私には座右の銘がないんだ!なくても困らないけど、なんだか悔しいじゃないか……。

座右の銘」を持たない今の私は、ファミコンを買って貰えない子供と同じ心境なのだと思う。違うかもしれないけど。

私にとっての座右の銘、どなたか掘ってくださいませ!