ゴキブリ多発

今年はゴキブリ遭遇率が高くて困っている。

遭遇する相手は大半が未成年のクロゴキブリ。ミニマムサイズの透き通った奴から、中途半端に黒光りする細長い奴まで。家のどこかに巣があることは間違いない。

しかしながら、家の下や壁の間に住んでいるケースが多いらしく、根絶は不可能。
そしてゴキブリが出るたびに家族が大騒ぎ。

だけどふと考えてみる。我が家はゴキブリが繁殖する要件が整いすぎているのだ。大騒ぎする割りには、ゴキブリが喜びそうなことをたくさんやっているのだからどうしようもない。

食べきれないほど大量の自家製野菜の運び込み、いつでもどこでも全開の窓、強烈な臭いを発する生ゴミ処理器具、大量のペット(ペットのえさやフンにゴキブリは集まる)。

野菜を自家生産するのは、農薬を使わず自然のものを摂りたいという欲求から。窓を開けっ放しにしておくのは、通気性を高めて開放感を得たり、虫の音を聞くため。生ゴミの処理は、畑の肥料を作るためだ。近所に“動物園”と比喩されたことさえある無数のペットたちも、自然を愛する心の表れと言える。いや、カゴがないだけで、居着いている生物がそもそも多い。野鳥や雨蛙だって餌付けして庭に住まわせてしまう。玄関では、靴の脇でコオロギが鳴いていることもある。

つまり我が家は、自ら人為的な住まいから脱却して、自然界に近づくべく努力を重ねているのだ。時期が来れば毎日がほうれん草、毎日が菜の花、毎日がネギの食事。直径二十センチ以上もあるフリスビーと間違えそうな椎茸や、ヘチマのような不格好なトマト、知恵の輪のようにぐるぐる巻きの輪になって絡まったキュウリなど、およそ野菜というより子供の玩具ではないかと見まがうような食材ばかりが台所には並んでいる。意地でも店で買わずに自家生産しようとしているのだ。皿の上に乗ったレタスの中に、尺取り虫やムカデが混じっていることもしばしばある。時期が時期なら、台所の流しにはいつもカタツムリかナメクジが這っている。そういった虫たちは見なかったことにして、何食わぬ顔で食事を続けなければならない家なのだ。

そんな状況なのだから、ゴキブリとだって仲良くならねばなるまい。ゴキブリだけ排除してそのほかの自然と仲良くなろうなんて実に不自然だと思う。そんな都合のいい昆虫がいるものか。まったく虫が良すぎる。

家族の思いとは裏腹に、家の中にもっとも数多く生息している昆虫はゴキブリ。これは間違いないことと思う。自然と同化しようとする努力が実った証拠だと思うんだけどねぇ。

…と、家族に言ってはいるのだが。ゴキブリだけは別と言い張って聞かないのだ。自然を愛する心とやらも、所詮は自己陶酔の現れなんだなぁと思わずにはいられない。ゴキブリは、禁断の果実を食べるように勧めるヘビと同様、人の心の闇を暴く力を持っているのかもしれませんな。

動物を愛する者に悪い人はいないという。昆虫を動物と呼ぶにはいささか抵抗があるが、生物学上は動植物の二分類において動物にカテゴライズされることは間違いない。もし悪い人がいない、が本当なら、真の“いい人”というのはゴキブリさえも愛せる人なのだろうか。