数値という視点からゲーム制作を考えてみる

面白い記事を見つけたのでご紹介まで。

記事は全体として、「ゲームにより、攻めの作戦が有利になるか、守りの作戦が有利になるかが別れる傾向がある」という主張がメインであるように見受けられる(このあたりは詳細なコメントを避けます)。

それで、必ずしも記事の主旨に沿ったとらえ方ではないのだが、筆者の考えや経験が、文脈のところどころに細かく現れていて、個人的にはそのあたりが参考になる。

  • (武器よりも優先して)防具を買う派は、「敵の攻撃を無力化できれば、最低限の戦力で必ず勝てる」というイージス理論に基づいている
  • 製作側がプレイヤーに理不尽だと思われないためには、ラスボスまでに攻めと守りの両方の使い方に気付かせることができれば良い
  • ウィザードリィについて)育て上げたキャラをロストし永遠に失う可能性があるので、どちらかというと「負けない戦略」が支配的なのではと思う
  • 「勝つ戦略」は戦闘が早く終るし、「負けない戦略」は時間がかかる
  • (「負けない戦略」が支配的なゲームについて)低レベルクリアなどのやり込みが多い
  • 「勝つ戦略」が支配的なゲームは、与えるダメージが青天井なため爽快なゲームが多い

そういうものかもしれない。うーむ。

他には、以下のような感じ。

  • 俺屍の説明は明快で分かりやすい。風評を聞く限り、私には不向きなゲームと思っているが、記事で説明している内容にはとてもそそられる。なるほど、短命なキャラクタを再生産して素早く回すゲームもアリか
  • 記事が言及しているいくつかのリンク先にもそそる記事がある。読んでみると面白いかもしれない(時間がないので言及しない)

いろいろな理屈が見えていても、その知識を元に、狙い目通りの雰囲気を持つゲームを作ることは難しい。たとえば「爽快感」という要素ひとつとっても、数値を大きくしただけで得られるわけではなく、その世界を取り巻く設定やら、視覚的な要素、聴覚的な要素、従来から引きずっている先入観なども影響してくる。(私にとっては、ドラクエ2のバギの呪文に勝る爽快感は、ウィザードリィのティルトウェイトやファイナルファンタジーシリーズのリミット技程度では得られない)

数値による印象操作について

記事では、数値による印象操作について繰り返し言及している。

私のような零細アマゲー作者の場合、視覚面も聴覚面も制作上の弱さがあるため、「数値」の設定が勝負の中で大きなウェイトを占める(アマなんだから勝負も何もないだろう、というツッコミはさておき)。だから著名ゲームの数値の扱い方については、昔からいろいろと思うところがあった。

世の中には、数字に魅惑の魔法が掛けられているのではないかと感じてしまうゲームが、ごく少数だが存在する。個人的にはドラゴンクエストシリーズの他、(アダルトソフトのメーカーで申し訳ないが)アリスソフトのゲームくらいしか見あたらず、フリーウェアのゲームにしてもうまく扱えている作品は目にしたことがない。(余談だが、アリスソフトのゲームは、そのほとんどが、先の記事の定義でいうと「勝つ戦略」が支配的なゲームであり、数値の魅力によってプレイヤーを引き込む性質を持っていると感じる)

ゲームの善し悪しは、巧みな数値の印象操作ですべて決まるわけではないんだけど、こうしたプレイヤーが気づきづらい部分をしっかりと考えてゲームを作っているメーカーのゲームは、ハズレが少ない気がする。ただ、たとえ一生懸命考えているように見えても、あまり効果が上がっていない作品は(市販、アマ作品問わず)たくさん存在する。話題としては面白いけれども、そこにこだわらないようにしていきたい。

数値については、私の場合、せっかく自作品の土台があるので、次の記事でちょっと“遊んで”みる。