「私ゎ」という書き方を続けてみよ
「私ゎ」という書き方について、ネットで質問を投げている子がいる。
その主旨は、「ゎ」という書き方を批判する人は時代遅れで日本語の変化についてこられない人であって使うのが常識、というネガティブアピールである。
「私ゎ」のゎを批判してる人って何なんですか?「ゎ」は今の中高生は誰でも使ってます
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1319857453?fr=top_mantenna
参考:「私ゎ・今日ゎ」など、わざわざ小さい「ゎ」を使った投稿を見てムカつくのは私だけでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418258909
なんとなくヤフー知恵袋のネタくさいやりとりのような気がして、楽しく読ませて頂いている。質問者は男女どちらであるかは分かりません(同じ質問者の他の質問もなかなかオツです)。
上の件でありますが。仮に、女子中高生の全員が書き言葉に「私ゎ」を用いたとしても、日本人口に占める割合は5%である。おそらく「“私は”という日本語を“私ゎ”に変化させるか」について国民投票でもすれば完敗を喫する数値でありましょうが、世の中には少数意見が必要と言う人もおりますからな。必要なら残さなきゃなりません。
ところで私はひとつ、上の記事を見て思い出したことがある。
それはかつて少女たちが書いていた「す」という字体のことである。私が子供の頃、こんな感じの「す」が女子の間で流行っていた。
この字体も当時の大人たちに指弾された。この形の「す」が最近になって、エロマンガの中で擬音に使われていたことを思いだしたのである。
なにせセックス時の擬音を表現するのに使われる字体である。印象的だった。
ひょっとしたら「私ゎ」も後年、ライトノベル風のエロ小説やエロマンガの中で使われるようになるかもしれない。作家によっては定着するだろう。日本語は変化するがエロ産業も変化するので、時代を取り入れる人たちが現れるに違いない。
日本語が変化するという現象は、「言葉がその時代の人々に消化され身近になった」ことを指すんじゃなかろうか。だから使っている人たちが、「使わない人は時代遅れ」と自他を切り分ける思考を持っていることが、まだ変化に至っていない証なんである。
だが日本語の未来について、女子中学生の方々は安心していい。サブカルチャーというものは昔から、若者文化に媚びる性質がある。新しい言葉遣いがマンガや小説に吸収されれば、言語能力的に劣るとされる男性にも波及するかもしれない*1。あるいはマイクロソフトやジャストシステムに、IMEの改訂を促す手もある。グーグルにも働きかけるべきだ。「私は」で検索をかけたら「もしかして:私ゎ」と表示されるよう仕向けるべきである。
そのように流行が流行でなくなり誰しもが使うようになったときこそ、本当に言葉が変化したと言えるのだ。たとえば以下のような変化が見られるだろう。
これらが自然になれば、かつて言葉遣いで批判を浴びていた方々の溜飲が下がるだろう。
現在の彼女らは社会的に不利な状況下にあるし、「時代に取り残されるのが云々」などと他人を蔑んでいてはいつまでも認知度が向上しないので*2、どうせならメディアを利用しつつ、新しい言葉遣いを広める努力を数十年にわたって続けるといい。どうせ現在の指導者たちは彼女らより先に世を去る。新しい日本語を作る力は老人より子供の方が強いのだ。
だが途中でブームが去り本人もその言葉を放り投げるようなら、一過性であることを認めたことになり、失笑を買うのみで終わってしまう。若者の力が古い社会や老人の圧力に負けたことになる。いつしか文科相に認定されるその日まで、地を這いつくばってでも、これらの書き言葉を人々に、自然な形で触れさせる努力を重ねてみてはいかがだろう。
未来ある女子中学生の方々には、より親しみやすく面白い日本語改革を期待させていただきます。