メタルギアと創造

長編FLASH発見。メタルギアネタ。
http://www.geocities.jp/madgearsolidjp/index.html
素晴らしくしょーもなくて楽しい。いやー、よく作りますな。

これ、元ネタはPSの『メタルギアソリッド』ですよね。実は手元にあるのだが、実機が壊れていて遊べない。訓練モードで二十面くらいまで遊んだように思うのだが、肝心の本編はまったく手付かずのまま放置している。PC版で出てくれると嬉しいのだが。

それにしてもこれ……、声優が有名人ばかりなのでは、なんて今みて思った。それとネタバレも含んでいる気がする。これを見てプレイ再開したくなってくる……、のは、私が変人だからだろうか……。

実は、ある女性キャラの3D画像を、アングルを変えながらアップで見ることのできるオマケがあるらしくて、それを見てみたいのだが、ゲーム的にある程度の難関を突破しないと見られないらしい。私の腕ではきっとそこまで辿り着けないので、初級でクリアするだけになりそうで、それが嫌でやめてしまったのだ。(不純な視線でゲームを見ているという意味では、上記FLASHと同レベル…、というか、みんな似たようなことを考えていたということか!?)


はじめてメタルギアシリーズに触れたとき、私は驚いた。アクションゲームといえば、敵の攻撃をかわしまくったり、はちゃめちゃな破壊を楽しむイメージがずっと頭にあったからだ。破壊してポイントを稼ぐのではなく、戦闘は必要最小限に抑え、隠れて敵に察知されないよう目的を達成する、という発想は、ゲーム界に閉塞感を感じ、また自分でも小さな工夫でいい作品が作れないものかと思い悩んでいた私から、一本のくびきを引き抜いたように思う。これぞ、クリエイターに求めていた創造的発想だろう、と。

なんて偉そうに書いてはいるが、実はファミコンで最初に遊んだマリオブラザーズは破壊的ゲームではなかったし、クルクルランドアイスクライマーなど、随所に斬新なひねりを盛り込んでプレイヤーを沸かせるゲームは、後から考えるとファミコン当初には多かった気がする。PCであっても、ロードランナーなど心に残る名作は確かにあった。

私が高校に入ったとき、PCで有名なアクションゲームといえば、イースソーサリアンMSX向けではサークなんてのもあった)といった面々が知名度で高かったわけなのだが、私の所属していた学級で普及したゲームは、このいずれでもなかった。

なんて話を書きながらページを漁っていたところ、こんな記事を発見。ソーサリアンがオンラインゲームになるらしい。
http://www.itmedia.co.jp/games/articles/0504/12/news027.html

高校の時は、MSX版の『メタルギア2 ソリッドスネーク』(という名だったと思う)がもっとも熱かった。そもそもPC-9801PC-8801のユーザーが少なく、コンシューマ機に至ってはさらに話題性が低く、イースに限らず著名ゲームの話題がどれも中途半端に終わってしまう中、MSXユーザーだけは大手を振っており、本作はMSX2以降であればほぼ確実に遊べるROMカートリッジの製品だったため、貸し借りすることで全員が遊ぶことができた。(MSXイースもあったが、たしかFDだったような)

ここに画面を少し発見。
http://www4.airnet.ne.jp/makuta/tagoo/s_check.cgi?LINE=1257

実際、私はイースもサークも遊んだが、結局メタルギアの出来に圧倒されて、さほどいいとは思わなくなってしまった。Windows版もご祝儀でエターナルを購入したが、結局途中で止まってしまいコンプリートしていない(オマケのDVDは観たが)。

もちろん、『イースII』なども楽しいと思ったことは確かなのだが、遊んだ順序の問題だろう、新鮮さがほとんど感じられず、雑誌が書き立てているほど凄いとは思わなかったことは確かだ。

ただ、MSXのゲームでも周囲で話題になったのはメタルギア一本で、基本的にみんなそれぞれの好みに偏って遊んでいたため、他のゲームが流通することはなかった。SLGが好きな人、ギャルゲーが好きな人、アクションが好きな人、それぞれだったように思う。ちなみに私は全部。

それだけに、メタルギアは価値観が別れはじめた世代に遊んだゲームの中では、特別な意味を持つゲームだったように思う。まあこれは、私の周囲に限った話だが。

作るからには、売るからには、いつも鮮度を保って欲しい。いつも新しいアイデアを、ひねりを盛り込んで欲しい。そういう気持ちを植えつけてくれたのが、メタルギアだった。そして、自分の制作スタンスにも影響するようになった。

RPGドラゴンクエスト、縦シューティングはゼビウス、横シューティングはグラディウスを遊んだ。破壊アクションには戦場の狼、レースゲームにはF1レースやエキサイトバイク、格闘スクロールアクションにはスパルタンX、一対一の格闘物には、ストリートファイターIIや古くはイーアルカンフーがある。その延長となる作品は、私には特別必要なものではなかった。いつも新しいものを欲している。

(とはいえ実際には、ドラクエWizardryは最初の三作はいいと思った。これは新しいものを求めたというより、旧作に物足りない気持ちを強く感じていたからだと思う。それだけに、初代が持っていた将来的な器が、とてつもなく大きかったのかもしれない。しかし三作が出た後は、さすがに枯れ尽くした感がある)

現状だと、ドラクエグラディウスも10が出たところで欲しいと思わない気がする。これはもはや、固定ファンやミーハー層を意識して出しているという以外になく、ゲーム界の斜陽を立て直すような起爆剤にはもはやなりえず、それを狙ってもいないと思う。もちろん、話題狙いで触れる機会はあるかもしれないが、いまだにドラクエ7がクリアされないまま箱の中に眠っている状況では、容易に食指は動きそうにない。

このように、良いか悪いかはべつにして、メタルギアのヒットが、私の気持ちを偏らせてしまった面はあると思う。以前のアイデアや世界観を踏襲して作品を作ってはいけないという法はどこにもない。ステレオタイプだからこそよしとする人々が世の中にはたくさんいるのだ、と同人界を見ていると特に思う。

もちろん、そういったものに対する個人的な興味は相変わらず薄いままだし、ヒットして話題を喚起する作品にはどこかしら新しい芽が見られるもの、という持論は変わっていない。私は“創造”を見たり、作ったりしたいのであって、“模倣”を求めているのではないから。