早速戦争話を
早速お堅い話なのですが、今日は8月15日なのでご勘弁を……。
日本人死傷者あわせて六百万人以上、世界の死者六千万人以上に及んだあの出来事、どうして無視することができるでありましょう……。
まあ今日の新聞の一面は大抵戦争(追悼)ネタですし、皆さんもある程度思いを馳せることはあるでしょう。ぜひ、様々な側面からあの出来事を見直して欲しいと思います。
ちょっと頭に置いておきたいこと
- 数多くの資料をもとに、己の頭で考えることが必要である
- 教科書は、無数にある参考資料の一つでしかない
- テレビ番組や新聞も同様
- 教師や政治家の意見も同様
- わざわざ靖国に行く必要はないが、300万人の日本人が死ぬことがどういうことであるか、この時期だけでも思いを馳せるべきである
- 思考停止はしないようにしたい。たとえば「悲惨だった。二度とやりたくない。以上」ではなく、“二度とやらない”ための方法を考えていく
- 難しいと思ったら、己の考えを無理に他人に語る必要はないが…
- 知れば知るほど、うまく説明できない、難しい判断が随所に出てくるはずである
- しかし時代が変わり、ブログなどで意見表明できる時代。ある程度知識がまとまったら、少しずつ自分の思いを書いてみると、何か前進があるかもしれない(私にも未知の世界である)
無関心が最大の問題
私がショックを受けたのは、昔、妊娠中の祖母が昭和20年3月10日の東京大空襲当時、荒川にいながら逃げ延びた経験を持っているにもかかわらず、その娘(私の母)がそのことを知らなかったことである。こんな身近に貴重な経験者がいるとは!!と事実を知ったときはただただ驚くばかりだったが、母があまりにも無関心で寂しくなったものだ。あの日、祖母が焼夷弾で焼き殺されていれば、アンタもワシも産まれてなかったんだぜ!?
祖母の近所の友人は防空壕に逃げてしまい、ことごとく黒こげになったそうだ。祖母は、夫の判断で線路の下に逃げ込み助かったそうだが、家がなくなったため、夫婦揃って一台の自転車で千葉まで疎開したらしい。荒川から千葉まで自転車…、それも妊婦を後ろに乗せてこぎ続けた祖父には、子孫全員が感謝しなければなるまい。その爺さんがあまりにも短命だったことは、なんとも悔やまれる話だ。
結局、無関心が子孫に事実を伝えることを拒む。祖母については、偶然私が興味を持って根掘り葉掘り聞いたから良かったものの、もし会話する瞬間が訪れていなければ、あの体験は永遠に後世に語り継がれることがなかったわけだ。