拾った大金のあくどい使い道

大金を拾う。あまりいいことではないと思うが、そういう偶然に遭遇する人も世の中にはいるようだ。

私なら、拾ったのが百万や二百万ぽっちなら、面白くないのできちんと届け出ると思う。この程度の額では、使い切った後のことを考えるとむなしくなりそう。使おうと思えばあっという間になくなるだろうし。

もし大金を拾って届け出ず、その金をあくどい使い道に回すとしたら、どのような使い道が考えられるだろう。

たとえば、二十億円を拾ったら。

車を持ち合わせていて、もし二十億を拾ったら………二十億なら持ち去ってやってもいいかな。で、あくどい使い道を考えはじめる。フッフッフ…いよいよ世間を困らせるときが来たのだ。私に大金を持たせるからいけないんだ!

使い道そのものはいろいろ考えられる。とりあえず金塊に変えてみるとか、不動産に変えてみるとか、株に投資するとか。

だけど目的は「あくどい使い道」だ。いま思いつくアイデアはどれもぜんぜん悪どくない。犯罪に目を向けるなら、女を買うとか無許可で高利貸しをはじめるとかいくつか思い浮かぶ。所得を申告しないのだから脱税は当然として。

だけど、思いついたものはすべてビッグじゃない。どれも小さい。小さすぎる。しかも全然魅力がなく面白くもない。二十億もあるのだからもっと派手なことをして世間を困らせなければ。

ビッグであくどい行為って意外に難しい。金があるとできないものなのかもしれない。逆に金を手に入れるためであれば、ひどい犯罪をたっぷり思いつくのだが。

で、考えた末の結論。

二十億円のあくどい使い道。これは、一切使わないで家にしまっておくことではなかろうか。

政府が信用を与えて発行する二十億円という札。これは、世間に流通することを前提として刷られている。その二十億という金に「一切使わない」というお墨付きを与えてしまえば、彼らのその計算がほんのわずかだが狂うことになる。社会に損失を与えたことになるのだ。

私が家に二十億円を永遠にしまっておくことで、もしかしたら地域で働くあなたの夏季ボーナスが百円安くなるかもしれない。この世に二十億分の冷えた消費を作り出す、ということは、一般のサラリーマンがため込んでいる貯金五十人分、百人分を凍結することになるのだ。

逆に言えば、私が電気屋で百台のパソコンを注文すれば、電気屋に勤める社員のボーナスがほんの少し上昇するかもしれない。欲に駆られていろいろなものを購入すれば、それだけ世間に経済的貢献を行うことになり、いいことをしたことになるのだ。これではいけない。拾った二十億円を手にいいことをするなんて、いったいどういう類の人間だ。

だから、二十億円は永遠にしまっておくのがいい。

彼らのボーナスの上下は、二十億円を抱えた私が握っている。そう妄想することで楽しみを得ることが、拾った金のあくどい使い方である。

すいませんこんな結論で。