敗者に対する罰と報酬

ゲームにおける敗者に対する罰と報酬について考えたときの記事。

三國志10PKを元に思った。なぜ三國志10かという話は長くなるので割愛します。

はじめに

冒険もの、英雄もののゲームなどで強い敵を倒すと、主人公が大きな経験値を得て強くなったり、優秀なアイテムを手に入れたりする。この理由はゲームごとに違うけど、多くの場合「勝者は讃えられ利益を得るべき」という思想が根底にあるのだと思う。

勝者に対して利益を与えるルールがあるのは自然なことだ。強い敵に勝った者がより強くなるのは理にかなっているし、報酬を与えてもいい。

一方で敗者には何も与えられないことが多い。報酬が与えられないどころか、罰則があるものもある。

  • ドラゴンクエスト」では、主人公が死ぬとお金が半分になる
  • 冒頭で挙げた「三國志10」は戦争ゲームである。負けたらプレイヤーの兵が大きく減って敵国の反撃を誘う。戦いに持っていった補給物資は、負けると全部とられてしまう
  • シューティングゲームなら、手に入れた強化オプションがすべて外されて自機が裸になる

けれどもプレイヤーの負けや失敗が起きうるゲームでは、ゲームであるが故の配慮が欲しいことがある。負けたプレイヤーは悔しい思いをする。悔しい気持ちが残ったままでは不快だが、その上、先に述べたような罰を受けていると、罰のぶんを取り戻す修復ゲームと、再挑戦に至る精神面の克服は辛い旅になる。そのまま起きあがる勇気を持てない人はゲームを放り投げるか、セーブデータをロードするなどしてやりなおす。

そこで、負けたときの不快を緩衝する対策として、敗者に対する罰則軽減や報酬を考えるのだ。

(この対策として、負けたプレイヤーへの配慮を見せるんじゃなくて、難易度を下げて誰でも連戦連勝できるゲームにしてしまう手もある。でも全部のゲームでそうするわけにもいかないので、今回は負けたプレイヤーへの対応について考えています)

問題の前提

今回は、プレイヤーに適当な労を負わせつつ積極的に勝たせることを目的としているゲームを対象にして考えている。目的はプレイヤーに敗北感を強いることではない。プレイヤーを勝たせて楽しませることにある。

そうではないゲーム、たとえば「努力しない者は勝てなくて当然、プレイヤーには勝つまで訓練や情報収集を要求する」という思想の上で作られているゲームにとっては無用の考え方だ。そういうゲームを私は否定しないが、今回の話からは外れる。

ゲームとしてプレイヤーに労を負わせる「適量」や「積極的」のものさしは、人それぞれ想像するところがあると思う。明確なしきいを作るのは、おそらく時間がかかるので割愛する。

敗北させた上で何を奪い取るか

ゲームにおける敗北は、それ自体にプレイヤーへの精神的な罰がある。数値的に何も失わないとしても、「負け」を認識した瞬間、プレイヤーは精神面にダメージを受ける。自分が悪いことをしたから、あるいは下手だから負けたんだ、という認識を強く持ってしまい、場合によっては苛立つ(実はこれもゲームによる。敗北感をほとんど植え付けずに負かすゲームもあった気がする)。

アクションゲームの苦手な人がアクションゲームを放り投げる瞬間は、十中八九ゲームオーバーになった瞬間なんじゃないか。ゲームが継続しているときに電源を切る人はそれほど多くないと思う。敗北感を感じてへこんだ瞬間、疲労や飽きなどのネガティブな要素に気づいて、ゲームを中断するのだ。

ゲーム開発者が敗北したプレイヤーに対して熾烈な罰を与えるのは、そうした敗北感の存在を計算した上でやるべきだろう。「負けたときのダメージがでかい?分かってるけど俺のゲームはあえてそこを厳しくしてあるんだ!」厳しくするなら、そのように分かっていて仕組まないとプレイヤーとの温度差が開く。

(そう考えれば、市販ゲームの難しさが昔に比べて下がっていることに合点がいく。難易度を上げることは、多くの場合プレイヤーの興味を削ぐことに繋がる。市場原理が働いた結果、難しさの緩和合戦が続いてきたんだとしたら、現代ゲームの作家感覚が成熟しており、攻略の難しい旧ゲームがその点、未熟だったというとらえ方はできる。そういう見方も私はできると感じた)

アクションゲームはかなり配慮している

多くのアクションゲームでは昔から敗者への配慮を行っている。たとえば。

  • 何度でもコンティニューできる
  • 自機が裸の状態だとパワーアップオプションが出やすい
  • コンティニューした直後は敵の攻撃が弱体化している

こういった弱者への仕様はファミコンの時代から盛んだった。アクションゲームでは自機を失った直後の弱さが目に見えて分かるので、開発の時点で敗者に思いを馳せるのだろう。敗者への配慮を行っている一番のジャンルがアクションゲームかもしれない。

翻ってRPGなんかだと、プレイヤーのパーティが全滅することをあまり想定せず制作を進めてしまうことが多いんじゃないかと。テストプレイはテンポよく進めているだろうし、設計によっては「死」を軽々に救うことを避ける仕様を目指しているかもしれない。

敗者に配慮することができれば、ひょっとしたらウィザードリィのように死にまくるRPGであっても、より大衆の遊びやすいものが出来るかもしれない。

考えた対策

じゃあプレイヤーが負けたとき、どう対策(配慮)するか。

  1. 敗北の表現に配慮する。プレイヤーを痛めつけすぎないようにする
  2. 低コストで再挑戦できる
  3. 勝ったときにもらえるはずの報酬を一部、先払いする
  4. 再挑戦したときの難易度を下げる

長くなった。いずれ掘り下げて考えてみるか。