ゴミの山から教訓を得る

何人かの要望を見ていると、同じツールを使って作ろうとしているものが三者三様に見えて面白いです。

ゲームの完成品というのはなかなか見られないもので、私は皆さんの制作活動の行く末を確認することが出来ないのですが、みんなが違うことを考えながら制作していることは分かります。

みんな自分こそが正しいと思いながら作品を選んだり、作ったりするわけです。きっと、そこが創作の原動力になるわけですよね。

しかしながら、「まず理想ありき」で始まる制作は、合理化と妥協が制作の結実に大きく影響すると思います。

理想を求めて制作を始めてしまうと、「引き算方式」で作品を作らざるを得ません。

理想を100%として、実現の難しそうなものを差し引き、妥協し、別のものに置き換えながら、なるべく高得点を目指す日本のテスト方式です。

この形は、スタート時のモチベーションこそ高いですが、スタート時に最大級の勢いがあり、作業が進むにつれてさまざまな現実に直面し、どんどん作り手の勢いが衰えていきます。

納期もろくな設計書もない世界です。作り手の勢いがゼロになり、昔作ったデータが風化する前に作品を完成させなければ、作りかけのシナリオはゴミ同然になります。

私の制作フォルダにも、内容すらろくに覚えていないデータ(ウェブページ、画像、ゲームシナリオ等)や作りかけプログラムの遺骨が山ほどあります。十代からの蓄積ですので数だけは多いです。

積み重ねたものはゴミばかりでも、そこから得られる教訓は多いですね。

それに、ゴミが多いということは、それだけ楽しんできた証なのかもしれません。