リアルさや選択の豊富さはシンプル化する

ぼけっと熱にうなされながら。

ゲームの面白さはリアルさの精細度には依存しない

鬼畜王ランス戦国ランスを振り返りつつ。これらはSLGという名目の国取りゲーム、かつキャラゲーという特徴を持つが、シミュレーションとは名ばかりのメチャクチャな数的論理の連続、キャラクタ移動には道理のカケラもない、舞台の規模感が伝わってこない、攻撃や防御の手段が各キャラ2つずつしかない等々、いろいろ大胆なゲームである。

ところがハマる。シナリオやキャラクタ性にではなく、ゲームにはまる。地味で大雑把なバトルの連続なんだけど、単純であることがとてもいい手応えを生んでいる。

複雑な設定は興味を引くのが難しい

リアルさも多様な選択肢も、悪ではない。リアルさを追求するほど、選択肢を広げるほど、それをシンプルにプレイヤーに説明することが難しいだけだ。

仕方がないから戦力の単位を師団単位で数えたり、北海道の防衛にあたった人が、次のターンで沖縄を守ったりするわけだ。ターンの単位は週なのか月なのか、はっきりさせる必要はない。RPGだって時の流れがはっきりしているものは少ないが、面白いものはある。となれば、戦闘ターンと移動一歩の時間関係は必ずしも説明しなくていい。

細かい部分に疑問を持たれ、突かれることがあるのは、肝心のゲーム面で満足を与えられない場合だ。あるいは、すでにゲームをやりこんで、新たな情報に飢えている「ハマった人」かどちらかだと思う。どちらでもないプレイヤーには、重箱の隅などは、笑って冗談に変えてもらえることだろう。

設定の理由づけや、情報の詳細を示せるならぜひそうすべきだし、多様な選択肢を示せるならゲームの幅が広がる。だけど、そこをプレイヤーに細かく示そうとするほど制作の難度が上がる。

意匠を凝らしたリアルさと選択肢は、プレイヤーの興味がそこに向くよう表現するところまでやって、はじめて価値が出る。できないなら、設定を圧縮した方が大衆向きになる。

シンプル化の際は縮図を示す

結局、ゲームではリアルに表現できないから、細かい設定を一つの数値や言葉に集約して説明することになる。そうやって戦争ゲームやRPGが生まれている。千人の部隊を一人分の能力とフィギュアで説明したり、デクスタリティが素早さと器用さを兼ねたりするわけだ。

他にもいろいろある。荷物の量、アイテムの疲労、距離、街の人口などなど。冒険者は食事をとらないし、排泄もしない。表現が端折られている。食事をするゲームの場合は、それが明確にゲーム性を生むからそうしているのだが、それだって細かいカロリー計算や、胃液による消化処理を組み込んでいるわけじゃない。どこかで非リアルになる。

能力値も多い方が選択肢が増えるかもしれないが、能力値を倍に増やせば、そこにプレイヤーの興味が向くよう表現するための労力はその3乗、たぶん8倍くらいになる。画面にはメリハリをはって、時には戦闘デモによってパラメータの意味と価値を説明し、パラメータを成長させるアイテムが伝わりやすいよう体系化したり整理システムを作ったりする。

コマンドも同じだ。攻撃呪文を一つしか使えない魔法使いでも、やはり魔法使いなのだ。それは、実際にファイアボールを一つしか使えない、というわけじゃなくて、シンプル化のため、重要な設定ひとつに設定を集約しただけなのだ。

大部分の精細度は保てないから、どんどんシンプル化して、作り手の力量の範囲で説明できるところにまで情報量を落とす。そうしないと遊べるゲームにならない。

素人ゲームでだいたい躓いているものは、導入部の表現の難解さに依るところが多い印象がある。アプリをぱっと起動して、プレイヤーに理解して貰える言葉(選択肢)は3つ(三択)まで。店に行ったら20個くらい商品が並んでいるとか、キャラクタを作ろうとしたら6つくらい種族が現れるとか、そういうのは大変なのだ。単に選択肢を並べて、気むずかしい説明を用意しただけでは、大半のプレイヤーが眠くなる。

良作はシンプル化してあることが多い

戦国ランスをはじめるといきなり戦闘が始まるけど、二択の連続だけで遊べるようになっている。凄いと思った。ゲーム性ではここ5年でもっとも熱かったソフトなので、その意義は大いに気にしたい。

ファイナルファンタジー7のシステムも、序盤は魔法がほとんど手に入らないし、実際に使う魔法をプレイヤー自ら選ぶ仕組みになっている。戦闘向けの選択肢を4つくらいに絞るよう、わざと蛇口を締めるルールを提示している。それを「マテリア」と呼んで、固有の舞台表現に繋げているのだ。

本来なら、こういったことを力量のない素人がやってみると、間口を広げやすいのかもしれない。

(素人の場合は作りたいものを自由に作るために作っているわけで、間口を広げることなど頭にないのかもしれない。ソレはソレということで)