歴史上の「源頼朝」の変化と源平討魔伝

源頼朝」について。一定の年齢以上向け。

小中学校の歴史の授業で教えられた頼朝像というものがある。「源頼朝」の姿といえば、資料集か何かに載っていた肖像画をイメージする人は多いと思う。昔を忘れてしまった人も、「源頼朝」をGoogleでイメージ検索かけると大量に出てくるから、どの画のことかすぐに分かるはず。

ところが、昨日の「所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝」というテレビ番組(テレビ東京系列)で、あの画は「違う人物である」と紹介されていた。以下のページにもその概要が記されている。

http://hukumusume.com/366/world/isan/itiran_kokuhou/017.htm

あの画は、「足利尊氏の弟」という説が有力のようだ。何とも驚かされる。

歴史の教科書も、変更されつつあるようだ。

昔は年表にある「1192年 鎌倉幕府開設」を重要項目として暗記させられたものだが(「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」と覚えさせられるアレだ)、実際の西暦1192年は源頼朝征夷大将軍に任命された年に過ぎず、実際の鎌倉幕府はそれ以前から機能していたことが最近分かってきたらしい。

現在では、鎌倉幕府の開始年を学校では教えておらず、「鎌倉幕府は1100年頃始まった」といったような大まかな単位で教えているのだという。

これらの話を聞いて思い出して、ファミコンのゲーム「源平討魔伝*1を思い出した。このゲームでは、最終的な敵キャラクタが頼朝で、その外観はあの肖像画をモデルにしている…、と思われる。



私の世代では、あの肖像画インパクトはとにかく大きかった。頼朝を打倒するという「源平討魔伝」の世界観も、肖像画のイメージから得ていた部分が大きいように思える。もし頼朝の姿が画として残っていないのであればイメージが定着せず、作者が「源平討魔伝」というアイデアを出すこと自体なかったのではないか、とまで考えてしまった。

*1:アクションゲームも出ているが、ファミコン版にアクション性はほとんどなく、RPGのような形態を取っていた