UOその2

UOのもっとも好きな頃

  • ポーションやHQアイテムの生産で盛り上がっていた頃の仕様がもっとも好き、という私の記事に対するコメント)

熊氏のようにちょうどそのあたりの環境や仕様が最高だったという人は多いですよね。

ルネッサンスの頃ですね。トラメルとフェルッカに分かれ、HQ品という言葉が使われるようになった直後だったと思います。

唯一寂しかったのは、モンスターが弱体化したことです。

そういえば、はてなキーワードUltima Onlineの記事に、以下の一文があります(今日現在)。

ルネッサンス以降、UOの良さがなくなった、別物になったと嘆くプレーヤーもいる。

UOの良さというのは、どの時代のプレイヤーであっても、自分がもっとも遊び込んで楽しんだ頃の記憶を「良さがある」と定義するでしょうから、上記の一文は、特定時期のプレイヤーの感情のみを表したものだと思います。

私はβからのプレイヤーでありながら、ルール的には上記の示す「別物になった」UOがもっともいい時期だと感じました。

ですが気持ち的には、ルールに気を配る必要さえなかった時代(誰も攻略法なんて知らない、唯一の実力の差異が“英語力”だった時代)をUOらしいと言ってみたいですね。

成長システムの問題

  • (成長システムの問題について、長文を控えるという私の記事に対するコメント)

いえいえむしろ是非

キャラクタの育成に対する考え方は、個々が求めるプレイスタイル次第だと思いますが、個人的には以下のように考えています。

  1. 育成ゲームにおける楽しみは、「未熟から成熟への過程」を楽しむことにある
    • 成熟するまでまともなゲームとして扱えない、という感覚が生まれている間はゲームではない
  2. 1の条件から、すでに成熟した者にとっては、育成ゲームにおける楽しみは感じられない
    • 制作側としては、成熟したプレイヤーに、次なる新鮮味を与えることが課題となる。このため、さらに別枠のルールを設けたり、高みを目指すためのルールを作り、そちらにプレイヤーの注意を引きつけようとする
    • 成熟したプレイヤーにしかなしえない課題を与えれば、1の段階にいるプレイヤーにとって、「成熟」がさらに遠いものとなり、成熟するまでゲームにならないと感じるようになる
  3. 1と2に満足を与えようとしたUOで、1にも2にも満足を与えられず悪循環が起きている

育成のためのシステムを充実させたところまでは面白かったのですが、一方では成熟した人に新たな躍進の道を示さなければならなかった、というあたりが、矛盾になっています。
いずれ破綻しかありませんし。

でも、いかなるプレイヤーも手放さず引き留めておきたい、という商人精神に基づく結果なので、仕方がなかったと思います。

誰しもゲームを卒業する時期は訪れるものなのに、それを引き留めなければならない商業ゲームの辛さはあると思います。

UOプレイヤー卒業への道

一応、私なりに、UOプレイヤーを卒業させる道のりを考えてみました(何の意味もないけど)。

  1. サーバの層を分ける
    • gpが一定量、もしくはスキル値が一定量溜まったキャラクタは上級者向けサーバに飛ばされる
    • サーバ層は数段階に分かれる
  2. プレイ時間が一定時間時経過したり、gpが一定量、もしくはスキル値が一定量溜まったキャラクタは「卒業」させる
    • 最後のサーバに転送して放置する
    • 課金を割り引く
    • 最後のサーバでは、能力値の増加も新たな発見もない

このくらいしなければ、成長型社会を中心とするオンラインゲームにおいて、上層と下層の不満を同時に解消することはできないと思います。私が設計しても、UOの世界を満足だらけに導く自信がないです。

また、この方法を用いても、上層に来たプレイヤーは最後に不満を感じて去ることになります。成熟したプレイヤーは、他人を凌ぐことを目標に育成を続けてきたのに、その「下っ端のプレイヤー」と出会うことなくゲームが終わることになります。

ですが、下層中堅プレイヤーの不満を逸らすことはできると思います。少なくとも層の中盤までは、格差をあまり感じないまま、育成に専念できます。

格差の是正は無理だと思う

どちらかというと、ルールがどうのというより、この手のゲームの意義を問う話になってしまいますが………

どのプレイスタイルが有利、どのプレイスタイルが不利という考えを持ち込まねばゲームが成立しない時点で、序列が生まれることを前提としています。そもそも「攻略法」の存在がすでに勝負のスタートラインになっています。「これを知らなければ不利になる」という情報が世の中にある時点で、有利不利を論じているわけですから。

大半のゲームプレイヤーは、どうしたら効率よく他人をしのげるかを日々研究しているわけですから、いずれ数値的な大小の差が出る。数値的な大小の差が出れば、数値の小さい側は劣等感を覚えます。

クレームをつける人はほとんどの場合、ゲームの中で劣等感を感じた人で、それは競争社会の中でやむなく産み落とされる結果のひとつであろうかと思います。その意味で、「不公正だ、クソルールだ」と罵る激しいクレームの存在まで含めて、育成型オンラインゲームと言えるのかもしれません。

他人と比べなくてもいい環境であれば、このような問題は起きづらいと思います。

ただ、育成と戦闘を楽しむRPGの形態を取る限り、比べなくていい環境など生まれませんから……ね。どんなルールでも格差は生まれ、能力やお金など、数値的に劣る方がルールにクレームをつけます。

もともとUOにはファンタジー内の生活を楽しむという建前があるのだから、6万gpであるか100gpであるかはたいした問題ではなく、あとはそのデータを利用してあの世界を楽む方法を考えることが本来の利用法で、数値的な大小の問題など微々たるもののハズなんですが、ゲーム内にいるプレイヤーたちはそうは考えませんからね………。私も生産スキルは100を目指していましたし。

あの頃に立ち返ると、私は最初から最後までヘボなプレイヤーでしたが、UOは全体としては良くできていたと思います(家の問題を除く)。