難易度に幅を持たせる工夫

  • コンピュータゲームでは、難易度を思い切り低くしておく方が、プレイヤー層が広がるのではないか
  • コンピュータゲームでは、難易度を高めることのできる工夫を施すことが、良作に繋がるのではないか

低難易度調整の方針はよく言及される話なのだが、ここではゲームブックとコンピュータゲームの対比から感じたことを話す。

難易度を下げる工夫をしやすいゲームブック

ゲームブックは、よく「独自ルール」をプレイヤーごとに取り決めて遊ぶ。特に、二回目以降のプレイやシリーズものにおいて行う。

一度遊んだプレイヤーはゲームの加減を知っているので、自分に合ったルールを編み出すことができるわけだ。たとえば、以下のような感じだ。

  • 敵との戦闘は行わずに全勝とみなす
  • 回復アイテムをひとつ加える
  • 能力値決めのためにサイコロを使わず期待値を全能力値に振り分ける
  • 成長ルールのないゲームに成長ルールを加える

変更ルールには、難易度を下げようとするものが多い。

人気ゲームブックは難易度が高いことが多いので、改造するときはルールを緩めることが多く、そのことがよく話に上る。勝手に難易度を下げることが悪いこと、という風潮がないようだ。

難易度を下げづらいコンピュータゲーム

一方のコンピュータゲームのプレイヤーの場合、難易度に対する考え方は、ゲームブックプレイヤーとは逆だ。

コンピュータゲームではあえて自分に制限を課し、二回目以降は厳しいプレイに挑戦する。しかし逆に、ゲームを改造してでも難易度を下げようとする話は、あまり表立って行われない。

「このゲームは自分には難しい」と判断したプレイヤーは、ゲーム改造ツールを探すことなく放り投げてしまうことがほとんどだろう。改造はどちらかというとアンダーグラウンドの世界で行われることが多く、タブーに近いのだ(改造データの配布がゲームメーカーに訴えられて、違法と判断されたケース(http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20010213/konami2.htm)もある。改造の是非は別のテーマである)。

難易度を上げる自由を与えるコンピュータゲーム

現状を考えると、コンピュータゲームでは難易度を思い切り低くしておくことが、プレイヤー層を広げるひとつのテクニックなのかもしれない。

というのも、コンピュータゲームでは失敗の要素がシビアに出やすいからだ。プレイヤーの手によるルール改定がしづらいので、ゲームオーバー、死、失敗、劣等、負けといった現実を、作者の加減によって冷酷に突きつけられてしまう。

一方のゲームブックには、自分の脳に応じてそれを緩和できるあいまいさがある。仮にルール改定なし、リロードなしで挑戦した場合、コンピュータゲームのWizardryよりも、ゲームブックの著名作の方が難易度が高いように思えるのだが、体感的にはWizardryの方が苦しい。作者の加減を強制されるからだ。

だが、たとえコンピュータゲームでも、プレイヤーの工夫によって難易度を高くすることはやりやすい。たとえば、失敗をなかったことにしてしまうセーブデータのリロードを使わない制限が、そのひとつだ。高難易度を求めるプレイヤーは、自らそれなりに調整して臨もうとする。

だから、ゲーム制作者は難易度を低くしておいて、難易度を高くする作業はプレイヤーの手に委ねる。プレイヤーの選択肢を広げておくことが、プレイヤー層を選ばないことに繋がる。難易度を調整する「難・普・易」の機能を無理につけなくても、調整の可能なゲームはそれなりにできあがるわけだ。

ただし上記には条件もある。難易度調整の難しいゲームもたくさんあるのだ。アクション性の高いゲームや、アドベンチャーゲームなどではこうはいかない。ルールに幅を持たせたRPGSLGなどで使える手だろう。

難易度を上げる工夫をしやすい要素

コンピュータゲームでは、あらかじめ難易度を下げておくと同時に、難易度を高めることのできる要素を同時に考えていく、という部分が、層を広げるための重要なポイントであろうかなと。

この点はこれから考えていく要素だが、たとえば何かのイベントを通過したときに、それまでの経過時間をチェックしてメッセージや得点を変えるなどといった方針だ。仮に、早くイベントを通過しようとすると難易度が上がるように作られているゲームならば、時間を詰めるかどうかがプレイヤーの選択肢として幅になる。

難易度に幅を持たせる設計は、いわゆるヤリコミ要素を追求するという言い方にも置き換えられる。だから、ヤリコミ要素をルールの中に自然な形で積み上げていける工夫というものを、考えてみたい。

きっといろいろある。アイテムを収集させることや、時間を短くすることばかりがヤリコミ要素ではないと思う。