TRPGは気軽に弄くり回すものという感覚

なんというか、苦労がにじみ出てますな……。

TRPGにおけるライト層とコア層の温度の差」(「きのこに媚薬。」より)
http://d.hatena.ne.jp/lovepotion/20071129/1196361556

ウィキペディアにこんな記事を見つけました。軽く読んだ限りでは、時代背景がライトユーザーに悩みをもたらすことは確かにありそうです。

テーブルトークRPG冬の時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AFRPG%E5%86%AC%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3

指摘される問題点

2000年代以降のテーブルトークRPG市場の状況には、90年代末の冬の時代の時とはまた違う方向での危険性を孕んでいると批判する声もある。

批判に関する最も大きな声は、ヘビーユーザー向けに市場がシフトし新規ユーザーの開拓が弱くなっているというものである。

ええと、90年代前半の夏の時代の人間として、多少は思い入れがあるのでコメントをば。

「元男の子」の集まりで懐かしいテーブルトークRPGの話をする私なんかとは決定的に境遇や感覚が違ってる。私からすればlovepotionさんは十分「コアなTRPGファン」という感じがして近寄りがたい存在ですけれども(え)、案外のこと、lovepotionさんの層でも似たような感覚を抱えていたのですな。

私の周りは私も含め、記事の定義で言うとライト層ばかりです。っていうかコンベンションってなんだ!って状態です。いや今でこそそれがどういうものかは聞き及んだ範囲で知ってますが、私の周りでテーブルトークRPGが流行っていた当時、そんな集まりに参加することなんて微塵も考えなかった。

アニメとか特撮とかガンダムとかの小ネタはもっと分からない。そのノリが場を支配しているなら黙って放っておくしかない。いい加減そればかりなら、次はワシがゲームマスターやると決意する。

私にはルールや世界のこだわりがないつもりだけれども、こだわる人の不満を浴びるのが嫌で外の人とは遊んでいません。その辺は同じような悩みというか、ちょっとした劣等感となっています。世間と同じ遊び方ができてない可能性が高い、ということで。

かつて遊んでいたのは地元の友だちとばかりです。でも遊んだ回数は無数に及びます。学校の屋上で、使われていない時間帯の音楽室で、もちろん自宅でも遊んだ。ルールもいろいろ試した。……いや、実践したのは四、五個くらいかな。全然コアなつもりはなかったですな。

以前、lovepotionさんの記事でバッサリ切り捨てられてた『ロードス島戦記RPG』なんてルールが簡単だから、ちょっと読んだだけで遊べてしまう。私たちが一番遊んだのはこれです。当時からとても練られたルールとは思えなかったけど、ルールの善し悪しや好みを精査するよりとにかく我々は遊びました。参加者が楽しめるかどうか、その場のノリでルールを選ぶ。今ロードスを選ぶ理由はあまりないけれど、当時は男の子の間で共通言語になっていたので手に取りやすかった。価格も手ごろで。

ノリによっては、その日だけカードゲームになってしまうこともあった。いつも通りシナリオは作ってきたけど、今日はテーブルトークやめてウノにするか、モンスターメーカーにするか、モノポリーにするか、ってな感じで。ちょうどモンスターメーカーモノポリーが流行った時代でもあるので。みんなその程度のいい加減な気持ちで参加してたんですな。作ったシナリオは次回遊べばいい。

ルールもコロコロ変わりました。いつも参加者の都合と気分に合わせる。ゲームマスターが追加ルールを考えて持ち込むことはもちろん、プレイヤーの提案ルールを受け容れることも多かった。とくにロードスは標本がスカスカですから、考えて加工しやすい。武器にせよ、成長ルールにせよ、魔法体系にせよ。あるキャンペーンシナリオにだけそれを適用するんです。場合によってはシナリオをアドリブで追従させる。そうするとみんな凄く喜ぶ。

ロードスやソードワールドのリプレイは読んでたけど、録音した奴を聞いた訳じゃないからどこの世界の話だ、って感じです。読んでない人も多かった。プレイヤーはともかく、ゲームマスターにとってマスタリングは言葉よりも声やテンポ、何より参加者のノリに合わせたり、自分でノリを作り出したりすることが重要でした。小型コンピュータにプログラミングしてビープ音で演出を盛り込んだこともありますが、こんな手法はリプレイには書かれていないし表現できない(当たり前か…)。

あらかじめ「このノリで」「この表の通りで」は建前として提示しますけど、それが楽しさをもたらすかどうかはまた別だったと思います。ルールブック厳守や、プレイスタイルへのこだわりなんかがいい結果を生んだ例はあまり無かったように記憶してます。場にいる人間を見ながら、結果としてルールを重視することはありました。

失敗もそれなりにしました。私の失敗は弟がかぶることが多かったかな。いろいろとゲームの実験台になっていたので。

で、上の話は年齢的にも未熟だった頃の話ですけれども、それを踏まえたとしても、です。テーブルトークRPGというものは本来、その程度の気持ちで弄ったり遊んだりするものだと思うのです。私はそういう遊び方しか知らない。だからlovepotionさんのこれまでのテーブルトークRPG関連の記事を読みながら、いや世界は広いなあ、この感覚で楽しめるものなのかなあ、なんてつい考え込んでしまうことがたびたびありました。

いま当時のメンツでテーブルトークRPGが始まれば、私なんかはきっと当時の感覚でやる。彼らとまた遊んでみたいとは思うけど、互いが遠く離れてしまっているから招集することはできませんが。

世のテーブルトークRPGファンには通じないんでしょうな、この感覚。でも私は、参加者が楽しめたゲームこそが成功で、そうでないゲームが失敗であると信じています。私は成功したことの方が多かった。自分たちにとってはあれで十分だったと信じられる。

そういう手応えが見受けられないlovepotionさんには、ちょっと同情してしまいました。

メディア展開云々の話は、我々にはどうにもならんから気にしないことにする。時が経てば玄人と素人の間に差が生まれることはやむを得ない。

そんな時代だから、まだコアに足を突っ込んでいない人たちには、ライトに遊ぶことの楽しさを知って欲しい。試しに玄人お断りのTRPGチームでも作ってみてはいかがだろうかと。全員が素人だけど顔見知りで固める。顔見知りがいなければ少しずつ作ってしまう。最初は三人からはじめてみる。ゲームマスターは順番に担当。これも下手でいい。とか。

過去の記事から、アレはダメ、これはイイ、というこだわりがlovepotionさんからは感じられるので、その場合にはゲームマスターとして選び抜いたものの良さを伝導してみてはいかがだろうか、と思います。たとえば『混沌の渦』あたり方向性としては私も好きでしたけど、ランダムで集めたライトな日本人プレイヤーにそれを言葉でアピールしても伝わらないと思うのです。D&Dソードワールドならともかく、混沌では確率の問題で難しい。となれば、ゲームマスターとして楽しさを教えてやるのが前向きではないかと思います。その立場が自分に合う合わないは、あとから考えればいいことじゃないかと。

(……ところで私のマシンはXeonデュアルですが、全然PCオタクではないかもしれない。世間から見れば十分コアなれど。私がPCを弄ろうとすると http://d.hatena.ne.jp/kumashige/20050806/1123337774 みたいなことになります……。デュアルを選んだのは、いまデュアルコアを選ぶのと同じ理由だったと思います)