『世界樹の迷宮2』が来た

のえる先生から、DSL本体と『世界樹の迷宮2』をまた送ってもらいました。こんなに早く借りられるとは思わなかったのと(ゲームを買ったら普通、自分が先に遊ぶだろう。けれどもゲームは未開封だった)、DSがライトにバージョンアップしていたのにびっくりした。

プレイする時間のこともあるのでどうしたものか。周囲の変化のこともあって、ツール開発の方もぼちぼち進めないといけないので、そちらとあわせて。


一つ気づいたことがある。

昔、ドラゴンクエスト2や3などの続編ゲームを心待ちにした時期があった。これには理由があったのだ。それは、友達と最新ゲームの話をして盛り上がりたいがため、なるべく早く意中のゲームに馴染んでおきたい気持ちが発売前に生まれるからだ。そこには友達に対してさりげなく「自慢」することが含まれていた。「前作はゲームを紹介されて仲間に入っていったが、次回作は真っ先にオレがプレイして感想を言ってやるぜ!」みたいな。

こうして書くときわめて俗な心理に見えるが、小中学生のアイデンティティなどその程度のものだ。新作ゲームではスタートラインが平等になると思うと、頑張ってゲームプレイで先行すれば自分が目立てる気がしてくる。ゲームごときで目立ってもたいして良いことはないんだけど、矮小なところで負けん気が煽られてしまうのがガキというもの。

そしてそれは大人についても程度の差こそあれ、同じ傾向があると思う。大人のはしゃぎ表現は少しだけ上品に見せかけるけど、所詮は似たようなものなんだろうなと。ゲームという奴は大衆の「目立ちたがり心理」を繰り返し喚起して自分を売り込む軽薄で狡猾な情報媒体なんじゃないか。

世界樹の迷宮2』にしても久しぶりに類似の感覚を得た。発売直後に届いてみてそれが分かった。未開封のパッケージを見ていると、さっさとクリアしてみたい気持ちは確かにわき起こる。なるほど、低レベルクリア自慢とか早期のネタばらしの会話とか、そういう話をみんながしたがる気持ちが少し分かる。

それとこの感覚は、オンラインゲームで数値の大きさを争うときの気持ちにも近いものがあると感じた。発売直後なればこそ、世間の多くが到達していない領域が多い。その意識が強まると、「最深階に行ってやる」「レベル100を達成してやる」という精力的な原動力に繋がっていくのだろう。

あらかじめ認知があるゲームシリーズは強いのだ。認知度の高いシステムの上に新しい舞台を乗せて、世間ではあまり知られていない「未達の領域」があることを匂わせてプレイヤーを誘い込み、スタートダッシュで没入させることがリピーターに繋がっていくのかな。それ考えると『シルフェイド幻想譚』あたり2を出してくれないかなあ。ぜひやってみたい。フリーウェアのゲームで次回作に期待するなんて経験ない。


世界樹の迷宮2』も攻略記事を見るのは行き詰まってからにします。前作は正編クリア直前までは大きな障害なく進められた。今回はどうだろう。というわけでウィザードリィよろしく牛歩戦術で。実際に心を逸らせたところで私にはメリットないし(小学生みたいに自慢する相手なんかいないし)。

届いたとき宅配宛先ラベルの中身の項に「資料」と書かれていたのには笑った。確かに資料だ。