成長したうんこ3とAIについて思ったこと
前回の記事はhttp://d.hatena.ne.jp/kumashige/20050901/1125515798。
苦節三年、ついに我がうんこが体重1kgを超えました。立派になったなあ。
うんこはスペシャルな表現システムを搭載していて、成長するにつれてぐるぐる回転したり、逆立ちしたり、いろいろな反応を見せる。この子が何を考えているか分からないけど、ご機嫌なときはご機嫌な動きを見せるのがいいじゃないか。うんこだって楽しいときは楽しいんだ。
色が緑がかっているのは、最近の食べ物のせいである。野菜をあげすぎたか魚をあげすぎたか、理由は分からないがこれはたまたまで、普段はたいがい、健康的なこげ茶色をしている。
AIゲームは不自由に
これ、厳密にはAIと呼べるのかは知らないけど(学習機能があるわけじゃなくて成長状況や感情によっていろいろな反応を見せるだけ)、AIたるべくして生まれたAIのゲームがもしあるならば、このくらいの視野に表現を絞って、対話できる範囲も制限した方が、付き合っていて自然に受け容れられる気がして。
つまりAIゲームを作るなら、プレイヤーの自由度は狭めましょうということだ。うんこを弄ってて、現在のテクノロジーでAIと対話をするなら、世界はこのくらいにとどめておく方がいいな、と感じた次第で。
反面、条件次第でたくさんのイベントが発生するゲームでは、自由に振る舞える範囲を増やしてあげましょうと。そのかわりAIはおバカでいい。どうせ人間の想像力が最大の武器になるのだから、コンピュータの頭はそれほど重要じゃない。ゲームを盛り上げる思考プログラムは必要だけど、それは学習機能を充実させることではない。学習機能がベースになると、学習機能の攻略法が分かった時点で醒めてしまう。
人間の学習に合わせてコンピュータも成長するものができたなら、そのときこそ本当のAIとして名を馳せることができるのだろう。けれど、そんなソフトウェアが民生向けに登場するのは相当未来の話だ。
バカなAIでOKだが、ゲームたる面白さは確保して欲しい
…なんて、今日の記事であまり長く語るような話題でもないんですが。
世の中には、ゲームを盛り上げるべく開発された自称AIと、本来の意味での人工知能がはっきり分かれていないことが多い。あんまり優秀なエーアイだのと語り始めると、私なんかは、まさか後者の意味でのアピールではなかろうな、とよく勘違いしそうになる。
大半のゲームにあるAIは攻略されるために開発されるAIで、本質的にAIたるべくして開発されたものではない。プレイヤーにはプログラムの「限界」を見せて、コンピュータの裏を掻くやり方を憶えさせることが攻略になる。プレイヤーがいったん攻略法を憶えたら、プログラムはそれ以上賢くならないから、永遠に成長しないただの信号機となる。
ゲームのAIは大抵「おバカな」方が楽しい気がしますな。現状のAIはとてもリソース上限が厳しいので、必ず人間の想像力がデキの悪いAIを補完して楽しいものにする。それもだいぶ大量に補完する。そうしなければマトモなゲームにならない。ということはドラゴンクエスト4もウィザードリィもそれほど変わらないんだろうし、実際に私の手応えはそうだ。ガンパレードマーチもだ。攻略方法が違うだけで、ドラクエ4やガンパレと「人工知能」として向き合ったことはない。
相手のヒットポイント量を暗記することがどれほど楽しいゲーム性を生むのか私はよく知らないけれど、それが面白いゲームにする重要な要素だ、と勘違いはしたくないものだ。消費者として。世界樹の迷宮のモンスターはみんなバカだけど、ゲームはとても面白い。面白いゲームが欲しいなら、そういう目を持ちたいのぉという話。