作品はシンプルな方が良いけれど

Desigeonの編集ツールにコンパイルをかけたら3MB(前バージョンの約3倍)、いらない画面フォームを削ったりして軽くスリム化したら2.2MBに。VBは余計なモジュールを連結しないので、コード量がじかに反映されますな。いろいろ作り込む一方、捨てた部分も多いということのようです。

アプリはシンプルに、こぢんまりとまとまっているのが良いと思います。この考えは、ゲームにも通じると思います。作っているものがフリーウェアだからこう、商品だからああ、ということはひとまず追いといて、純粋にアプリの需要について考えてみると、そういう思いがあります。

何かを作っていると、いろいろとくっつけたくなって、たくさんくっついている方ができが良くなると思いこんでしまいがちです。機能が多いのは悪いことではないのですが、より価値のあることは利用者に利便性の高さをうったえ、学ばせる(使う気にさせる)誘引力があるかだと私は思います。そんな中、機能の豊富さと扱いやすさは相反する要素でして、機能を足せば足すほど悪循環に陥る、というケースは少なからずあるものと思います。

機能を思いつき、足すのは良いことなのですが、利用者にそれを使う意識を植え付ける方法まで含めて思いつく、あるいは作り込むことが難しいです。結果、下手に足さない方がいいこともある。

小さいリソースでまともなソフトを作れないなら、規模を大きくしたところでろくなことはないかもしれない。初代ドラゴンクエストの規模は、現代から考えるととても小さなものですが、あの規模で良いものが作れないなら、ドラクエ3の規模で作ったらもっとクソゲーになる。ならば、たった三つの能力値と三つのアイテムと三つの呪文でゲームを作ってみて、うまくいったら量を三倍にしてみる。そういう作り方もあるなと思いました。実際、呪文の数が何百あったって面白くないゲームは面白くないので、この考えは当たらずとも遠からずかもしれません。

Desigeonも、七割くらいは作者の自己満足でできているせいもあり、まだだいぶ複雑な感じがするのですが、ここにきて随分と落ち着いた感じが出てきました。それは努力により簡便化された部分もさることながら、削ることで生まれたゆとりがそう見せかけているのが大きいです。

使われないと分かっていて残している部分もあるので、上に書いたことを肝に銘じて作り続けるわけでもないのですが、客観的に見ると、自分の趣味が作品の価値を落とすこともあるのだという意識は一応、持ち続けていたいものです。その方が気楽そうです。どうせ完全に趣味の一致する人間なんてこの世には居ないし、だからこそ多様な作品を生む原動力に繋がっているという見方もある。

我々は、趣味に完全に合う作品が永遠に生まれないこの世の中で、自分に合う作品がないか探し求めるという矛盾の中でゲームを遊びます。そして今日もまた、満足と不満足を見つけて喜びと愚痴を誰かと語り合う。それでいいのだと私は思います。

最後にちょっと思った。作品探しは恋人探しに似たり。提供する側とされる側、双方に個性がある限り、己の需要のみを満たそうとすると破綻するのかもしれませんな。大事なのは折り合いと妥結か。