省略されゆくメッセージ
ストーリー性が重視されないゲームについて。
昔のゲームでは、何かイベントやコマンドを実行したときに、シンプルながらちょっとしたメッセージが表示されることがよくあった。そのセリフが作品のイメージと結びついて、長く記憶にとどまることがあった。
ところが続編になってから、メッセージが省略されたシリーズがある。
ルナティックドーン
ルナティックドーン2は、宿屋にあるクエストの達成を繰り返して遊ぶゲームだ。主人公が依頼を受けるとき・依頼を達成するとき・報酬を受けるとき、それぞれ相手側にセリフがあった。
- ん?輝きの鍵を持ってきてくれたのか。いや、ずっと待ってたんだよ。どうも待つのが苦手な性分でね。ありがとう。助かるよ
- お、ご苦労さん。助かったよ。これが約束の報酬だ。また依頼があった時は頼むよ。なあに、心配するな。良い仕事があったら回してやるから。
ところがウィンドウズ版の「遙かなる前途」「前途への道標」になってから、これらが一部省略されるようになった。宅配の仕事をこなしても「ありがとう」の一言もないし、クエストを達成すると、「1500Gを手に入れた!」というメッセージが表示されるのみで、宿屋の主人にねぎらいの言葉はない。
ルナドンシリーズのクエストこなしは、繰り返しの作業になるので、同じようなセリフをしゃべらせたところでプレイヤーはあまり喜ばない、と判断したのかもしれない。他に事情があるのかもしれない。
信長の野望、三国志
コーエーの戦略ゲームではゲームシステムの遷移が激しい。だから純粋に新旧を比較することはできないのだが……。
昔の「信長の野望」だと、戦場で待機すれば「動かざること山のごとし」。攻撃すれば「わが軍が優勢ですぞ!」。民に金をばらまけば「ありがとうごぜえますだあ」。税率を上げれば「民は騒いでおりますぞ」。
最近のものは攻撃を仕掛けても、アニメーションと数値変化が表示されるのみで、テンポのよさは稼げる反面、戦っているときの味が伝わってこない気がして。
セリフが出ても昔とはイメージが違ってて、まさに現代人が作った、という感じのものが多い気が。個性が入りすぎてるんだよなあ。
ファミコン版当時、平仮名表示だったのが影響してるんだろうか。
ウィザードリィ
ウィザードリィは印象的なものが多いというか、その素っ気ないシンプルさがある故に、一言一言が強い印象を残した。
ファミコン版より。「きっとおきにめしますよ」「おおっと」「いてっ」「のろわれている」。
新しいものはどうなっているんだろう。
メッセージは作品のイメージと結びついて記憶される
メッセージでゲームの良さが決まるわけではないけど、それを覚えてしまうほど印象的な繰り返しの言葉というものは確かにある。人気のある作品はメッセージとセットで人々に記憶され、それが一つの世界観として後世に定着していく。
誰かが「おおっと」と言っただけで旧来のファンの気を引くことができる。これは凄いことだ。
メッセージが印象に残らないゲームというものは、時間が経つにつれて大きな損となっていくんじゃなかろうか。まして完全に省いてしまったら……。
Desigeonだと、どんなところにメッセージが必要か考えてみたい。