再鑑賞の欲求
カレーを食べているときに老人や赤ん坊の話をすると、うんこの話に発展する危険があるんですね。本日学習しました。
さて、かつての記憶が元で再プレイしたいゲームがありますかという話。
私は上の要素を持つゲームほど再プレイしたくなるようだ。
これは映画や小説にも通じる。映画や小説は例外なく真ん中で、二度、三度と観たくなるものはそう多くない。
しかし再鑑賞の欲求というものは、どの記憶が美しかったか、楽しかったかという話とは別な気がする。良作か駄作か、善か悪か、という話ではないと思う。単に再プレイしたいか、というだけの話だ。
真ん中のストーリーものや芸術ものは、心に受けた感触がとても重いので、もう一度それを感じて自分を揺さぶりたいとは思わない。心を動かすことは疲れるのだ。年をとると感動ものを避けてコメディを好むようになる、ということなのかもしれない。一方で、感触の軽いものは凡作であるから、どうでもいい。
RPGや箱庭ゲームなどの育成ものは、心の疲れが少ないからハマるのかもしれない。育成作業で疲れるのは主に身体であって、これはゲームプレイの障害となりにくいのだろう。
とはいえ、実際にウィザードリィやウルティマオンラインをもう一度やりたいかというと、もう一度やりたいけど、身体的に疲れるから避けたい。翌日に響く遊び方はできない、ということになる。
……ううむ、最終的には社会的な対応が壁になりますな。