童話的(詩的)なドラゴンクエストアイテムの貴重さ

ある場所に、「ドラゴンクエストシリーズは、主人公が人の家のタンスなどを漁る泥棒ゲームになっている」ことを指摘する声があって、気づかされたことがあります。

ここでは、FC版ドラゴンクエスト3以前とそれより後では、「宝探し」の重点が移っていることについて語っています。(ゲーム的な善し悪しについては結論づけていません)

ゲーム内の世界中にあるタンスや壺を見つけるたび、それを探って「ちいさなメダル」などの隠しアイテムを見つけるミニゲームは、確かに試みとしては面白いとは感じます。双六やカジノも楽しいかもしれない。ところがそれによって、DQ3までにあった童話的な舞台観が影を潜め、プレイに緻密な作業が生まれました。

DQシリーズにはもともと、注意力と緻密さによってアイテム探しを作業化させるようなゲーム性が少なかったのです。

古いシリーズの宝探し

古いDQシリーズの宝探しといえば、童話を見せたり謎解きをさせたりと、アイテムが固有の物語を持っていました。以下は例です。

  • 例)マイラの村の温泉には笛がある。ゴーレムを眠らせる話が語られる
  • 例)「せいなるおりき」と「あまつゆのいと」を探して「みずのはごろも」を織らせる

「ようせいのふえ」はゴーレムを眠らせ、戦闘を有利にして決着を付けることで、話が完結します。アイテムを使ったときに専用のメロディが流れ、印象深いです。

みずのはごろも」は、ヒントから材料アイテムの位置を類推して探し当てます。職人に材料を渡して織らせても、すぐには完成しません。完成させて着ることでミニゲームが完結します。

いずれも、まずはヒントを得ることで「ミニ童話」の口火を切るわけですが、これらはゲームの世界に違和感なく織り込まれていて、時にファンタスティックな、あるいは詩的な感性を感じさせる寄り道要素になっています。

ここが、今回私が語る「古き良き要素」としてのドラクエアイテム探しです。

加えて、これらはウィザードリィに見られるようなアイテム収集のゲーム性も持っています。理由は、「なくてもクリアできる」アイテムであるからです。昔のDQシリーズにはこの手のアイテム数が少ないので、規模としては収集ゲームに向きませんが、この発想でアイテム探しゲームを作った場合、十分に収集ゲームたり得ると思います。

ちいさなメダル以降、作詩がトレジャーハントに変わった

FC版のDQ4以降には「ちいさなメダル」があり、これを世界中から探すというミニゲームを作ることで、アイテム収集の要素が強化されています。

そしてゲーム中で「ちいさなメダル」を集めるよう指示したり、アイテム交換したりするくだりは従来と同じく、世界観に組み込まれています。ここまでは面白いです。

ところが「ちいさなメダル」自体が隠されている場所は世界中のタンスであったり、壺であったりとノーヒントかつ無作為に近く、それまでのDQアイテムらしい作詩的なテーマがありません。

この形はファイナルファンタジーシリーズのテイストに近く、「怪しい場所は片っ端から調べろ」という注意力と緻密さを求めるトレジャーハンティングに変わっています。

ヒントがなくても宝探しをすることが義務になり、探索は記憶に残らない

ドラクエは、ヒントの有無にかかわらず「宝探し」をするべきゲームへと変わりました。

タンスから得るアイテムには、攻略にとって必須のものはありません。ですから本来なら、タンス漁りは義務ではないはずです。

ですが、成果が上がればタンス漁りは定着します。そこにゲーム性があって「うまくやればトクをする」とプレイヤーが感じる以上、それは必然の作業になります。

結果、童話の中でアイテムを探したり、使うことで詩を完成させるような物語性を求める遊び方は、比重を失っていきました。実際、「ちいさなメダル」を集めれば強力なアイテムが手に入るし、片っ端から引き出しをあければステータスアップのアイテムが手に入ったりするので、泥棒プレイは楽しいです。

この手の宝探しはまるでファイナルファンタジーでしたが、面白いので私は楽しみました。

ですが一方で、昔のDQにあったアイテム物語の面白さは、希薄になったと思います。マイラの村の温泉は思い出になりますが、メダルを隠してあるタンスなど忘れても良い記憶なのです。

現代から見た物語アイテムの懐かしさ

最近のDQシリーズは遊んでいないので不明です。ただ、声を聞く限り、「詩や物語で誘導」する昔のDQの姿はあまり見えてきません。形は残っていても別のヤリコミ属性を重視しているようで、ウィザードリィやオンラインゲーム同様、「効率の誘導」によってキャラクタを強化したり、アイテムを探させたりする形が多い印象です。

実際の判断は、詳しい方々にお任せします。

これらの件について、善し悪しについては言及を避けたいです。私はウィザードリィファイナルファンタジーのような、量産される、そしてトレジャーハント的な宝探しも好きです。

ただ、冒頭で述べた意見を目にしたとき、昔触れた童話的(詩的)なドラクエアイテムが懐かしく感じました。アイテムを量産できるウィザードリィファイナルファンタジーにはない、独特の宝探しは、ドラゴンクエストシリーズの歴史を語る上で欠くことのできない要素だと思います。