巨大な労働力を提供してもらえる欲求生産ゲーム
何かを求めて旅をする物語がある一方で、あれもこれも求めたいけど選びきれない、という物語がある。後者の話。
なんの話かというと、いくつかのRPG系ゲームを見ていて、遊びきれないほどキャラクタ職業が用意されていたり、取捨選択が難しくなるほど優秀なアイテムが多く出現したり、行ききれないほどたくさんの場所が用意されていたり、そういう状態になったときの気持ちなんだけれども。
そういうとき、ゲームってなかなかやめられないなあ、と思って。やることが多くて。中毒要素の一因だろうか。
単に世界を広げるだけではそういう状態にならないし、アイテムなどの要素を増やすだけでもダメだと思うんだ。データをたくさん用意することは多くの場合必要になるけど、それだけではプレイヤーの欲求を維持できない。
欲求が尽きないからゲームをやる
ゲームを続けるということは、プレイヤーの欲求が尽きない、あるいは満たされていないことを指す。結末が見たいから毎週ドラマを見る。ボスを倒したいから弾を撃ち続ける。宝物が欲しいからモンスターを探す。
欲求は少し見せて隠す
欲求は、ある程度見えていて、隠れていなければならない。どこかに何かがあるという情報、あるいはありそうな予感を得なければ欲求が生まれるはずがない。だけど、ここに行けば確実にこれを得られる、という状態を持続するだけではプレイヤーが飽きてしまう。
どこかに加減を生み出すブラックボックスやランダム要素を置いて、プレイヤーを煙に巻く必要がある。欲求を見せて少し満たしてやり、完全に満たす前に別の欲求を見せて、また少し満たしてやる。
無数のデータが用意されている
欲求の生産と充足を、細かく繰り返させるゲームは、結果として遊びきれないほどたくさんの職業が用意されていたり、無数のアイテムや迷宮が用意されている。プレイヤーの欲求は未解決の宿題として積まれていく一方だから、なかなかゲームをやめられない。
その間、プレイヤーはわりと単純な行為を繰り返しているように思うんだけど、それをネガティブな作業と認知するとしても、ゲームを終えたあとのことになる。懸命に宿題を片づけているとき、片づける行為自体には疑問を抱かないものだ。
作業中のプレイヤーに嫌悪感を抱かせてしまうゲームは、彼の期待と欲求を超える重労働を強いているのだ。程度の小さい欲求は、小さい労働で満たせるようにしなければならない。
凄まじいプレイ時間をかける
さて、強力な欲求を生み、強力な欲求に支えられたゲームに、プレイヤーは凄まじいプレイ時間をかけることができる。これらを作業ゲーと呼ぶか中毒ゲーと呼ぶかは人それぞれだが、いずれせよその評は、プレイしたあとに与えるものである。
プレイヤーに、巨大な労働力を提供してもらえる欲求生産ゲームを考えてみたい。
いくつかの作品を見ながら、情報の見せ方がひたすら重要だと思った。