『世界樹の迷宮2』のRPG検定で思い出したこと
木の年輪から北の方角が分かるというのは、必ずしも当てはまるわけではないんじゃ。迷い込んだ森でそれをやったら、余計に迷う確率が高まるんじゃなかろうか。
方位を知りたいなら空を観察していた方が良さそうですな。
私は「仲間を見捨てる冒険者タイプ」だそうです。
『世界樹の迷宮2』サイトのRPG検定の結果を受けて面白いことを思い出した。ゲームブックには、作者の意図を判断することが難しい選択肢がよく出てくる。
ゲームの途中で「冒険者は手負いである」という付記が出てきたとき。
- 宝箱を持ち運ぶ
- 宝箱をあきらめる
たとえば上記二択が示されているとき、読み手の解釈は分かれるかもしれない。
- 自分は手負いだから、宝箱を持ち運ぶことに耐えられないはずだ
- 自分は手負いだけど、宝箱を持ち運ぶことができるから選択肢が用意されているのだろう
説明量によっても変わるけど、私は後者で捉えることが多かった。この状況で宝箱を運ぼうとして窮地に追い込まれるとしても、選択肢を用意する側が悪いんだと。なぜなら、目の前の宝箱を持ち運べる体であるか否かは、プレイヤーの判断を待たずとも人間なら自然と判断できるというのが、自分なりの常識だからだ。ゲームの仕様だから結果はすんなり受け止めるけど、質問はよくないと私は評価する。
それに、いったんは荷物を運ぼうとしても、怪我が悪化するなら(ゲームオーバーになるほどダメージを受けるなら)自然とあきらめて荷物を捨てるだろう。それが生物というものである。
ゲームブックは文章の無駄を省く傾向がとても強いので、ちょっと行きすぎて説明が不十分となり、解釈の難しい状況が生まれやすい。とりわけ翻訳ものだと仕方ないといえば仕方ないことだが、こういう例がよくあった。
コンピュータゲームでは曖昧な処理が難しいが、ゲームブックでは読者が「理不尽」と判断した仕様については好き勝手変更していい。例の場合は、宝箱を運ぶことで罰が与えられたとしても、その記述を無視するというルール変更をしてもいいわけだ。以前どこかに書いたかもしれないが、この手のルール変更や改造は、コンピュータゲームと違って悪徳になりづらいから。紙媒体の利点ですな。
……なんていっても『世界樹の迷宮2』はコンピュータゲームなんですが。今回の記事とは関係ありません。懐かしき思い出なり。