希望は小さく?
朝早く起きてブラジル戦を観た。敗北により日本のW杯は終わってしまったが、今回に関してはこの程度でよし、視聴者としてはほっとした、という思いが残る。
もちろん残念ではあるのだが、もともと狭き門であったことは分かっていたわけで、実のところ、素人で予選突破を本気で予想していた人なんてほとんどいなかったんじゃないのかなと。大会前は「予選突破なんて無理」だなんて言い出せない空気があったけど。
私の母などは大会が始まる前から「こんなに無理を期待されちゃって選手たちがかわいそうに…」といつもの調子。母は、当該大会が柔道だろうと水泳だろうと、国民の期待を一身に背負って戦うアスリートを見るたびに同じことを言う癖がある。まぁ素人にとって世界規模の大会なんてのは、サッカーに限らずこんなものなのだろう。ダメでもともとという姿勢で試合を見た方が、落胆するときの悲痛が小さく抑えられることを知っているのかもしれない。
四年前の大会がボーナスステージであったことは分かっている。だからチームの成長を比較するのであれば、八年前が対象ということになるだろう。
今年は海外W杯ではじめての勝ち点を得て、フランス大会の一得点に対して二得点をゲット。まぁいい成績とはとても言えないわけだけれども(失点が大幅に増えてる)、沸かせてくれるシーンが二回に増えて、かつ第三戦まで希望が持てたから決勝進出への期待を八年前よりも長引かせてくれた、と捉えるならば、応援する側としてとりあえずの収穫があったと感じることができる。母の応援の姿勢は、我々が楽しむという点においては悪くない考え方であるように思う。
今回の結果に納得ができない、という人が少なからずいることは分かる。特にサッカーは、代表チームを応援することに血道を上げている人が大勢いるみたいだから、彼らの価値観を否定するつもりはない。選手他、関係者に対する批判は当然あることと思う。まぁ基本的に他人事だからね。
個人的には、四年後の大会はアジア予選落ちか、ギリギリで到達して三戦全敗、という悲劇的な状況を勝手に予想しているのだが、このはっきりした根拠のない予想は自分がスポーツ観戦を苦しまずに楽しもうとする心の「保険」であるのかもしれない。
私も中学時代、運動部に所属して応援する側の悲喜こもごもを存分に肌で味わっている。身内のことになると、会場で熱く応援しているサッカーチームのサポーター同様、実に応援に熱がこもってしまうのだ。で、負けると本当に悔しい。その落差を歓迎すべきかは別にして、実際に負けたときは掛け値なしに辛いものだ。勝手に期待して勝手に熱くなって、勝手に落ち込んでるの。
だから期待は小さく。万が一決勝トーナメントに進めたら試合数が増えて、また雑記のネタが増えるじゃない、という程度の気持ちを残して。期待しすぎは胃に悪いよホント。勝率の低いギャンブルの連続だから。
チーム関係者には、本当にお疲れ様でありました。