『スラムダンク』にまつわる恥ずかしい思い出

前日の文章を見直して驚く(明太子の記事)。

うーむ、読みづらいというか分かりづらいというか、雑な文章を書きますな相変わらず。主旨もよく分からん。

昔書いた雑記にも酷いものがあるのだが、あまり直さないようにしています。まぁ自分の恥部は普段から適度に晒しておくに越したことはありませんからな。プライベートでも、社会でも。

心情的に辛いのは読み返すときなので、読み返さなければ問題ない。よっしゃ解決。


少し前の話になるが、以下の記事をブックマークしておいた。実写化して欲しい漫画に関するアンケート。

“戦争もの”と“学園もの”――、実写化して欲しいマンガの傾向
http://news.oricon.co.jp/omr/15695.html

男女ともに一位『スラムダンク』、二位『名探偵コナン』。あとは男女少しずつ差があるが、概ね上位には男女ともに同じタイトルが並んでいることが印象に残った。

個人的には、漫画を実写化して欲しいと思ったことなど一度もないのだが、あえて尋ねると上記のような結果になるということだろうか。まぁそれはともかく、今日は『スラムダンク』の話題。


といっても、私は『スラムダンク』にそれほど詳しくありません。世間では人気があるようですね、というくらいの認識しかない。多くのスポーツネタに興味を示す私にとってはおそらく珍しいことなのだが、これにはワケがある。

スラムダンク』が流行する直前、中学卒業となり私はそれまで三年間続けていたバスケ部をやめた。

流行前のバスケ部は悲惨だった。とにかく部員が足りない。バスケは五人揃わないとチームを編成できないのだが、入部時の同世代は辛うじてその人数が集まるかどうか、という体たらくぶり。おかげで低い運動能力しか持っていなくても簡単にレギュラー候補になれる。今でもタンスの引き出しには、一ケタ台の背番号が入ったバスケ部時代のユニフォームがしまってある。

その後、『スラムダンク』が知名度を上げ、私もしばらくの間、そこそこの気持ちで読んではいたのだが。

高校の体育の授業でバスケが始まる。これが『スラムダンク』を避けるきっかけになった。

スラムダンク』の連載中にユニフォームに関するエピソードがあり、その話の中で、ふたケタ台の背番号が入ったユニフォームを渡されて悔しくて涙を流す選手が表現されていた。それを見た教室のみんなが、現バスケ部員・旧バスケ部員の「背番号」の話で盛り上げようとする。通常、レギュラーのユニフォームには4番〜8番を身につけるのが慣例になっており、9番以降は実力のある順に並んでいくのだが(レギュラー用の4〜8番はポジションを表すことが多いので、実力とはあまり関係がない)、何しろバスケ大人気の時代。十番台前半くらいまでのユニフォームは、実力があるというお墨付きになるわけだ。

私も例に漏れず、みんなに中学時代の背番号を聞かれた。先に述べた通り、私の番号は一桁だったから、正直に答えるとクラスで歓声があがる。そしてその煽りもあって、授業のお手本にさせられる。勘弁してくれ、と思いつつ体育教師にみんなの前に出てバスケのプレイを披露するよう指示されるのだ。

確かに昔は一桁台の背番号を持つ部員だった。しかし昔バスケ部員だったといっても、はっきり言ってとてつもなく下手だったのだ……。授業ではとにかく地獄だった。いつも泣きそう。漫画のキャラクタのようにカッコよくいくはずがないんだから。身長も低いし。

ちなみに私が中学を去ったあと、弟の世代が入学したのだが、このとき弟も兄にならったのか漫画に影響されたのかは知らないが、とにかくもバスケ部に入った。なんと同時に六十名以上の入部希望者があったそうだ。私の代の十二倍。なんなんだこの変化は…。

私と同じように体格で劣る弟にはユニフォームがなく、試合に出る機会もない。よかったなぁ弟よ。ないほうがいいよユニフォームなんて。

バスケのあと、ソフトウェア関係の興味に傾注するようになり(というか体育会系をとにかく嫌った)、高校ではパソコン関係の部活へ。私の代は人数が少なかった上、幽霊部員が多かったので結果として三名ほどしか活動しなかったが、不人気のその部活で、ほっとした三年間を過ごす。

で、私の代には数えるほどしかいなかったパソコン部員、Windows95が出てから激増したのかが少し気になっている。私が高校を卒業したあとでWin95が話題になったので、増えたかどうかは未確認なのだが…。

流行ものの影響は怖いですからな。身をもって知っております。私が部員だった時には希望さえあれば出場できた「プログラム競技大会」あたり、まさか事前に内部でレギュラー選考のためのテストなんかが行われていたりして。ああ恐ろしや。BASICの筆記試験なんかで敵同士になって勝負したくないわい。勉強するなら、仲間と共同開発するためのプログラミングを学んで欲しい。


そんなわけで書いたらなんだかスッキリしました。恥ずかしい過去を晒すと気持ちがいいですな。

冒頭に書いた通り、この雑記にもとてつもなく“恥ずかしい”記事が存在します。そしてそのような記事は今後も量産されることでしょう。

ああ!恥ずかしいんだよ!その文章は勘弁してくれよワシ!と思いつつ、ポリシーもあってむやみに削除したりはしません。でも恥ずかしいとは思っています。

ブログもだんだん流行ってきています。ブログ人口の増加を示すマスコミの記事が新聞などにも載るようになってきました。そういう記事を見るたびにどきっとしてしまう。

ワシにお手本なんて求めるなよっ!読まなくていいからなっ!いいか、読むなよ!先輩ブロガーの記事だからといって読むんじゃないぞ!読んだら目が潰れるからな!と言いたくなる(自意識過剰)。

また十年後に、最先端のブログシステムに似たようなこと書くんでしょうかね。「あんなことを書いてしまい、恥ずかしくて仕方がなかった。泣きそうだった。でも削除しなかった」とか。

人生恥ずかしいことの繰り返し。こうして恥も外聞もない大人になっていくんでしょうな。