オリンピック、メダルへの過剰な期待

まもなく開会。

各メディアが、日本勢のメダルへの期待を重ねて熱く語り続けるこの時期。いつもながら何か妙な感じである。

100名以上の日本人選手が参加するのに、メダルの可能性の高い選手ばかりを紹介するものだから、1〜2時間のスポーツ番組を複数見てもせいぜい十人前後の日本人選手の名前しか出てこない。オリンピックらしさを出すには、せいぜい数個にしかならないメダルへの期待より、多数の日本人選手が参加していることを示してお祭り感を出した方がそれらしいように思う。

何より、メダル以外は価値なしという印象ばかりが強くなって解せない。そりゃ、オリンピックへの参加を推進する人たちはメダル数向上を目指すことが大きな仕事になっているのだろうが、基本的にオリンピックは、能力が低くてもある程度の参加枠が各国に認められているものだし、それぞれの立場から上を目指すことに意義があるのではなかったか。もちろん、ジャンプやスピードスケートなど、過去実績を上げてきた競技についてはメダルを狙うべきであるものの、それ以外の世界順位が全然ダメな競技だって価値は同じであるはずだ。

選手には精一杯やって欲しいし、精一杯やるだろう。世界で100番めの選手には50番にする目標が、10番の選手はメダル圏内に入る目標がそれぞれあるわけで、それぞれの選手が挑戦するにあたって価値の差などないはずだ。その向上心こそが美しいのであって、メダルしか眼中にナシ、という観戦者側の視点はどうだろう。

個人的には、メダルを一個も取れなかったときのメディアの反応を見てみたい気がする。本当に取れなかったら残念なことではあるが、過剰な期待を込めた“無責任な熱い視線”を送る報道がショックを受けてくれたら、私は愉快な気分になれるような気がする。

別にメダルを期待して悪いことはないのだが、いつも違和感を感じるのは、偏執的とも言えるくらい能力以上の期待をかけるマスコミの煽りである。人間は失敗する生き物だから、全体の力を100とするならば、まぁ本番は緊張も考慮して80の力を出せれば十分だろう。もちろん120%の力の発揮など奇跡以外の何者でもない。

まぁ自ら「絶対に金とるよ」と豪語している人については徹底マークであるが、みな自分の努力の範囲を知っているから、注目を浴びている選手であってもほとんどは「精一杯頑張ります」とか「少しでもいい色のメダルを目指して」という言い方をする。冷静だなぁと思って私などはほっとするのだが、マスコミはどうしても選手に金をとると豪語させたいようだ。プレッシャーをかけて成績を悪くさせて後日のバッシング用のネタを仕込むことが目的か、と思いたくなることさえある。

ということで、メダル5個が実予想なら、マスコミや我々一般人が期待する数は3〜4個にとどめておいた方が無難であるように思う。その分、下位の順位でも上を目指して頑張っている選手にスポットを当てて、そちらへの声援と、順位向上への期待を持たれてはいかがだろう。局所的かつ心酔に満たされすぎた現状に比べれば、実に公平で現実的な報道だと思うのだが。