いじめで自殺・・・

自殺する子供のことでマスコミが騒いでいるようで。日本が自殺大国たる背景には様々な理由がありそうだが、その一端をかいま見たような気がする。

子供が心情的に追いやられてしまうことはよくある。多感な時期なればこそ深刻で難しい問題だ。

私にも記憶がある。イジメを受けて、というケースもあるが、学校生活全体に違和感を感じて、自分の居場所を狭めてしまうのだ。自分の心境や悩みの種を、うまく説明できるほどに大人になっているわけでもないから、親や教師にも説明できず相談に至らない。ただただ追いつめられるがまま日々を過ごしているうちにリセット(卒業)を迎えられればマシなほうで、在学中に臨界点に達してしまえばこのような結果をもたらすことは想像できる。

教師の適正というものはいろいろあって難しい。まぁそれでも、最低限、教師は強くなければやっちゃダメだ。自分や他人に弱い教師というものは、いらんところでやたら傲慢に怒るばかりだったり、子供に(背景にいる保護者に)媚びたりするばかりだったりして、弱い者を守れない。

……それだけが教師に必要な要素、というわけでもないだろうが、ま、人前で偉そうに物事を教える仕事である以上、芯は太くあるべきだろう。今回、批判の対象となっている教師はきっと、人としての弱さを職場に持ち込んでしまった例なのではないかなと。

私の在学中にも、ろくでもない教師が何名かいた。いま思い出しても、何年もの間、彼らの下で学校生活を行っていたのだと思うとぞっとする。そのような教師の絶対数は少なかったが、この問題は決して今にはじまった話ではないと思う。

一応、大人の立場から言わせてもらえれば、学校の先生たちにはもう少し、浮き世の外から世俗を見下ろすがごとく、すべての人にとって神聖かつ特殊な存在であって欲しい。そして教育業界全体が、保護者も含めて教育するつもりで指導力を発揮して欲しい。

子供を殴った教師を暴力教師とみなして親がクレームを付けてくるとか、給食費を支払っているから“いただきます”は不要であるとか、金があっても給食費を払わない親がいるとか、ホントいろいろな人間がいることを再認識する昨今。

ツッコミどころが多すぎて、雑記にも書ききれないネタの豊富な時代だ。“俺以上におかしなヤツがいるぞ!”とつい吹いてしまい、長生きしたいな、自殺なんて絶対にヤダ、五十年後の日本をぜひ見とどけてやる、と思わせてくれるキチガイネタのオンパレード。個性的、かつ挑戦的な反骨精神に富んだ親たちをやり玉に挙げて踏み台とし、かつてあった威厳を取り戻して欲しいな、と思う。

マスコミの責任も大きい。我が子の教育だからと、おかしな教育方針を学校に押しつけてくる勘違い親の傲慢な振る舞いを助長することのないように。

……ま、それでも、何をやってもろくでもない教師は一定量残るだろうけど。