武器が陳腐化するRPG

多くのRPGにはたくさんの武器が登場するけれど、武器の扱いはどれも似たり寄ったりの価値観で実装されている。

たいがいはダガーよりロングソードの方が強くて、さらにハルバードやグレートソードの方が強くて、さらに銃器があれば銃器がもっと強いということが多い(魔力付与の概念は除く)。

だから大抵、ゲームがちょっと進むとダガーは役立たずになり、やがてロングソードも「最強の武器」にとってかわられ、プレイヤーに見向きされなくなる。古いものは大半がゴミだ。

ゲームが進むにつれて古いアイテムが使われなくなっていくこの現象を、ここでは「陳腐化」と呼ぶことにする。以下、アイテムの陳腐化にまつわる話。

世界樹の迷宮2で集めたくならない理由

世界樹の迷宮2には、アイテムのコレクション機能がある。

私はもともとコレクター向けの機能が好きなはずなのに、世界樹の迷宮シリーズについてはアイテムを収集する気になれない。この理由を考えた。

答えはすぐに出た。アイテムの数が多い割に、自分が扱うアイテムはそれほど多くないから興味を持てないのだ。

世界樹の迷宮シリーズで武器や防具を得るには、まず店にアイテムを陳列させるための条件アイテムを持ち込んで、陳列したら金を出して買わねばならない。

  • 条件アイテムの入手が遅すぎて、武器防具が店に並んだ時点で陳腐化していることがよくある
  • 金がない。ゲーム序盤から中盤にかけて貧乏なので、購入点数を減らす工夫をする。収入が増え、贅沢できるようになる頃には、かつて購入を見送った大半のアイテムが陳腐化している
  • すべてのジョブ(職業)を扱うわけではないので、使わない武器カテゴリが生まれる。たとえば、ダークハンターという職業を採用しないプレイヤーは、武器の「鞭」シリーズは丸ごと使わない

アイテムの在庫に意識が向くのは、ごくわずかな終盤のアイテムのみだ。

世界樹の迷宮2はアイテムの陳腐化が早く、思い入れは薄く、そして収集の邪魔をする条件がたくさんあるので、コレクションに意識が向かない。

ウィザードリィで集めたくなった理由

私が初代ウィザードリィを遊んだときは、ボルタック商店の在庫はなるべく充実させておきたかった。この理由を考えた。

  • 点数が少なくアイテムを重要度別に把握しやすい
  • 追加キャラクタを作るときのために在庫を置いておきたくなる
  • いかなる武器をストックしてもカテゴリ的に無駄がない
  • 魔法の武器は出現頻度が少ないので、収集に積極的になる

ウィザードリィでは、剣は間違いなく使う武器だった。「まっぷたつの剣」を手に入れたら、使うのは戦士かロードかサムライか忍者か。誰が使うか分からないが、とにかくストックしておけば、いつか役立つ来る日があろう。

たとえ陳腐化しても、村正やカシナートが尽きたら「まっぷたつの剣」「力のメイス」に出番があるかもしれない。そういう気持ちが持てた。

中盤からアイテム探しにどん欲にならざるを得ないので、宝箱アイテムにはめざとくなる。そして在庫も確保したくなる。と、アイテム収集を意識させる条件が揃っている。

数は多い「前途への道標」

ルナティックドーン・前途への道標」にはやたら大量の武器防具が出てくる。

ルナドンは雰囲気を重視するため、購入する文化圏ごとに色合いの違う武器防具が出てくる。日本だと脇差しや十手、星兜なんかが出てくるが、西洋だとロングソードやカイトシールドを買うことになる。

これは、NPCを大量に登場させるルナドンらしい仕様だ。NPCはそれぞれの出身地によって初期装備が定まる。日本人は十手や刀を使うが、中国人は棍や戟を使う。中東人だとジャンビーヤやパタ、西洋人はブロードソードやポールアックスを使う、という具合。

が、実際にプレイするとどうしても違和感のある挙動が目立ってしまう。主人公と行動をともにしたNPCは、やがて収集したアイテムの中で威力の強いものを自動選択するので、結局みんな似たような装備に切り替わってしまうのだ。NPCの装備をプレイヤーが操作する技もあるが、かなり面倒だしリアリティに欠ける方法だ。

もちろん主人公の装備も偏りやすい。条件の厳しい縛りプレイでもしないと、雰囲気重視のプレイにならない。

大量に武器防具が出てくるルナドン「前途への道標」は、陳腐化を前提としたゲームバランスになっており、大半のアイテムを使わず、集めず、覚えられず、という感触があった。

分類に思い入れが持てる「ルナティックドーン2」

ルナドン2(前途以降じゃなくて2)は、武器については思い入れの持てる仕様になっている。

  • 強力なスペシャル武器(魔法のアイテム)が滅多に手に入らないから、市販アイテムを使い込む。すると文化や分類を意識する(強さでそれほど選ばない。ぜんぶ弱いアイテムだから)
  • キャラクタには剣・斧・棒・槍・弓・投を扱うための技能があり、多種の武器を登場させる意義が強かった
  • ダメージと防御のタイプが斬る・叩く・突くの三種に別れており、パーティの中に斬る仲間・叩く仲間といったように、いろいろな武器仲間をそろえる意味があった

スペシャル武器を入手できたら陳腐化は避けられないが、ルナドン2はそれほど甘いゲームじゃない。たとえスペシャル武器を手に入れても、主人公にとって苦手な分野の武器だとあまり意味がない。

攻撃力20の市販メイスと、攻撃力80のスーパーソード、どちらを選ぶか。「棍棒」の技能が高く、「剣術」の技能がゼロなら、当面はメイスを選ばざるをえない。だから最初に買った市販メイスを本当に長く使うことがある。

感じた傾向

ここには私の傾向がある。

  • アイテムの種類が少ない方が、アイテムに対する思い入れが生まれやすい
  • まんべんなくアイテムを使えて物足りないくらいに感じると、アイテムを収集する気になりやすい
  • アイテムに分類を設けたら、ルールも分類に追従しないと陳腐化により有名無実化する(名前と画像だけリアリティを出しても、ルール化されたカテゴライズには勝てない)

アイテムという要素はゲームごとに位置づけが違うから、一概にこれがいい、これが悪いという言い方はできない。

だけど大量に武器防具を出すなら「武器に日本刀、鎧にプレートメイル、足に蛮族ブーツ」みたいなアンバランスさを招かない配慮がされていると、収集欲が沸いたりアイテムへの思い入れが高まったり、ものによっては戦術への思い入れが高まるんじゃないかと思った。

あらためて思ったこと

多くの場合、アイテムコレクションは「外道」とか「オマケ」の範疇になっている。本編攻略の延長にあって、アイテム探しをしようとしまいと、シナリオにとってどうでもいいゲームが大半だ。

オマケだから、本編を攻略しながら、つい寄り道をしたくなってしまうほど優しい匂いをかがせるところにミソがあるのだ。重すぎる岩は、たとえそれが邪魔でも、どかすより回り道をするか、よじ登ることを考える。千のアイテムを実装して「どうだ集めてみろ」と唱えても、ついてこられるプレイヤーは限られてしまうのだ。

けれども過去、アイテム探しをしたくなるようなゲームは、例外なく面白いゲームだった。この点も忘れたくない。

寄り道にどっぷり漬かってしまうゲームは、本編のできがよく、オマケの匂いも適度に香ばしく作られているのだろう。ハードコア向けだから、という理由だけでヤリコミ化するのではない。

だがたかがダガーされどダガーだがな

余談だが、武器としてのナイフをクローズアップして用いたゲームブック『地獄の館』と『巨大コンピューターの謎』は私の好みの作品だ。

あと、「ファンタジーゲームの世界ではナイフより剣の方が強いが、現在の軍隊で使われているのはナイフの方だ」という表現を用いたPS用ゲーム『ガンパレードマーチ』はナイス!

そしてコンピュータRPGでは『ウルティマオンライン』。魔法使いやメイス使いであっても、ダガーの常備は常識でありました。動物から皮を剥ぐため、魚をさばくため、ダガー(刃物)のない生活は考えられなかった。これには感動した。初期装備のダガーを何年も使い続けた。

だから何だという話でもありますが。