「なぜ5×3ではなく3×5なのか」の問題解決に見られる見直すべき教育側の感覚
追記:下記引用箇所の一部は、当エントリを投稿した日の夜中に、リンク先において削除ないしは別の表現に置き換えられたようです。当エントリは、11月14日19時頃の内容で作成しています。
私は先生ではありませんが、最近、塾の子供たちが×マークに過剰な拒否反応を示すので、この手の問題に私も若干、敏感になっています。
この件は面白いです。算数の立式の理解と、かけ算の定理を別物として理解させようとする、教育側の意図というか苦悩というか、そういうものを感じ取ることができます。
【最短理解】なぜ5×3ではなく3×5なのか
私の率直な感想は、「教育の仕様が悪い、脊髄反射が起きるのは自然*1」です。
もちろん教師が悪いわけではありませんが、誤解を招きやすい教育方針を自ら作っているという自覚は、関係者全体に欲しいところです。
上の記事は、教育の意図を説明していることは分かりますが、立式ウンヌンの次の段階に進む、頭のいい子供のことを考えていません。
この問題の出し方なら、子供の多様な思考に応じるために○でもいいじゃない、というのが読んだあとの感想です。
仮に、上記サイトの主旨により問題を作成しているのなら、式の中に「皿」「個」という単位を埋め込むよう指導すべきです。これなら5と3が何の数を表すのかを明確にでき、多くの人の誤解を解決できるものと考えます。早急に仕様(指導要綱というのでしょうか)を書き替えるべきでしょう。
教育側の意図を一方的に語ったところで、親御さんにとってもお子さんにとっても利益がありません。親が教えにくい算数にどれだけの価値がありますか。
5×3を正解にするわけにはいきませんね
この問題の出し方では、正解にするしかないと考えます。
当該設問では、立式の理解を試すことになりません。なるかもしれませんが、ならないかもしれないという曖昧なテスト問題です。単にかけ算の式をつくらせるだけ。5×3と3×5、どちらでもいいです。
立式の理解が必要なら、専用のかけ算記法を設けるべきです。
「立式の理解」と「定理」を分ける、というのは教育側の意図に過ぎず、両者の境界が曖昧であることは言えると思います。それならば、子供がどのような意図をもって回答すべきかを教育側が強制することは難しいと思います。まして、算数も数学も学んできた親御さんの理解を得ることは、もっと難しいでしょう。
脊髄反射で悪口を言うことは良くないことですが、理解できない人たちを「思考不足」と断じる側も失礼ではないですか。
これほどの長文説明をしなければ脊髄反射する人が多くなってしまうほど、元が分かりにくかったり、理解に苦しむ内容である、というだけであるように思います。
冷静に教育方針を見直す教師の出現を求めたいと思います。
「そもそも×とする採点が何を意図しているのか」の段階が理解できていない
理解させるために、これほど長い説明が必要な時点で、何かがおかしいと思いませんか。かけ算の問題ですよね。大人ならみんな知っているはずの内容です。
誤解の解消にご尽力なされていることは素晴らしいことですが、このような長大な文章を読みに来られる親御さんが多いとは思えません。
この件は、教育側が誤解を招きやすい仕様を家庭に押しつけようとしている一例だと私は思います。ネットで「脊髄反射」が起きやすい状況は、教育側が作っている。そういう自覚がないと教育水準の向上など井の中の蛙で終わるんじゃないでしょうか。
テストの問題が何を意図しているのか大人ですら分かりづらい状況が生まれているなら、子供はもっと困るでしょう。
うちは、家族が小さなそろばん塾をやっています。
答案の○、△、×の取り扱いをちょっと変えるだけで、子供たちの反応が極端に変わるので、塾同士で意見交換等をして、小さな方針の調整に四苦八苦して取り組んでいます。上のテストで「5×3」と書いて×をもらった子供が、どんな風に受け止めたか、私はずっとそのことを考えてしまいます。
教育方針は、プロの考えだけで決めるようなことはすべきではない、というのが私の考えです。知見の浅い親も教育者の一人なんです。何より大事なのが、子供たちの反応です。
「教育現場はこういう意図でやっている。モンスターペアレントを育てるような反応はしないで」と主張なさりたいのなら、自らを顧みて、親や子供たちの反応を見ながら、自分たちのやり方を見直す姿勢を見せることも必要かと思います。
お互い、多くの人に納得して貰える仕様や方針を作っていきましょう。
追記
設問の意図、解釈の難しさについて、誤解を解こうと努力を続けておられる関係者や、本件をトリガに教育の見地を深めようとされる教師の方のお話は面白いです。
私は、リンク先の当初の記事が、教育側の方針について知らない人を貶めるように書かれているように感じましたので、当記事を作成しました。11月15日AM現在、感情的な問題が発生しにくい文章に置き換わっています。
今後も、かけ算記号の前後に何を許容しようと、立式に関する設問の意図を明確にする確実な手を打つ以外には、誤解を招き続けることにかわりはないと思います。教師の脳内にこういう定義がある、ではなく、子供とその親に納得して貰うための方針です。
全体として思ったのですが、定義量を小さく留め、必要な説明量を減らす努力も教育においては必要に思います。数式の記号はそのためにあるはずです。誤解を解くための説明が肥大化せざるをえない今回のテーマは、やはり元の設問(≒指導要綱)が問題含みであったから、という見方を私はしています。