面白いゲームを作れなくたって良いじゃない

掲示板で、どんなシナリオ(作品)を作って欲しいかという質問があった。分野を問わず、ゲームの世界では大昔から似たような問いかけや主張があるけれど、私はDesigeonのシステムに自分が作りたい世界を実現できるものを求めたことがない*1ので、もし私が聞かれたら戸惑うだろう。

マチュアとして私は、作って欲しい作品と作りたい作品と作っている作品はたぶんすべて違う。

ついでに、作って欲しい作品と作りたい作品と良いと思える作品は大抵、違うと思う。

作って欲しい作品なんて、それを想像できている時点でレベルが低いんじゃないか。想像できないものが出てくるから面白い作品として記憶に残るわけで。

Diabloが出たとき、Elonaが出たとき、私はやられたと思った。いやこれは面白い。シルフェイド幻想譚も良かった。想像を超えるものだった。恐れ入りました。

これらは私の発想では作れない。だけど、ふと試しに自分が作りたいと思ったものを作ってみたとき、別の人をアッと驚かせるものが出来ることはあるかもしれない。だから今でも作り続けたいと思うのだ。

自分の作品が大衆的にウケると信じて作ることはとうの昔に捨てている。そもそも面白い作品なんてほとんど出会えないのに、自分だけ特別だと思うことは傲慢だ。たいした訓練を積んでないのに。何を根拠に面白いゲームを作れると言い張れるのか。

作る作品の出来が悪くたって良いじゃない。人生活動の過程と結果が楽しければ。

マチュアにとって、作品作りで大事なことって何だろう。自分を信じて作ることが大事だと主張し続ける人もいるかもしれないけれど、そうやって思いこみながらみんなでクソゲーを量産する世の中になっているんだし、何が出来てもいいやと割り切って作るのも楽しいんじゃないかな。

*1:機能単位でならある