広い自由度を与えることは難しいから一〜二択でいい

RPGにはたくさん「選択肢」が出てくる。キャラクタの職業を選ぶところもそう、購入するアイテムを選ぶところ、使うコマンド(呪文等)を選ぶところ、分岐路を右へ行くか左へ行くか、どのモンスターと戦うか、などなど。どれも選択肢だ。これを自由に選んで攻略できるゲームほど自由度が高い、などと世間では言われるようだが、はたしてそうだろうか。

実際に私が作品を作るとき、ゲームプレイヤーに自由を与えることは難しいが、自由意志によって選択をしたという錯覚を与えることは必要だと感じている。

内発的動機の重要性

ゲームプレイヤーのやる気というものは、心理学的には「内発的動機」をどう誘うかというテーマで考えることができそうだ。内発的動機というのは、簡単に言えば無報酬でも仕事をする気になる理由のこと。これは、給料につられて(外発的動機づけによって)仕事をする人に比べて、強く長くやる気を保ち続ける傾向があるらしい。

ゲームを遊ぶモチベーションをプレイヤーにどう植え付けるか、ということは制作側の大きな課題になるのだけど、この辺にヒントがありそう。

人に内発的動機を植え付けるには自己決定感・有能感・リアクタンスなどの要素が絡んできそう*1、ということで、ゲームプレイヤーが自分でゲームを操り、難しい挑戦を自己判断で突破し続けているという実感が必要である、という話に繋がっていくのだと思う。

やる気満々の人間は強い。そんなプレイヤーを作るためには、制作側がやみくもに選択肢を用意すればいいというものでもない気がするのだ。

ゲームの難易度の話にも応用できそうだ。現代はヌルゲーばかりとか、社会人に難しいゲームは無理とか、ネットではそういう話をよく見かけるが、実際に体感する難易度というものは遊び手のモチベーションによるところが大きいのではないか。とすれば作り手としては数値的難易度を調整することでプレイヤーの歓心を買うのではなく、プレイヤーのやる気を引き出すことで調整できるという見方もできる。

良い自由度を作ることは難しい

以下を考えてみた。

ゲームの自由度を、楽しませる目的で広くすることはとても難しい。自由度は、プレイヤーが選び取る対象が広ければ広いほど、そして自身の手で選び取ったという感覚が強いほど、広く楽しい。プレイヤーが選択を楽しむには、以下の二つが満たされている必要がある。

  • プレイヤーに与える選択幅が広い
  • プレイヤーが自由意志で選んだという感覚が強い

単に選択幅を広くとればいいのではない。両者は表裏一体にあり、片方を強化すれば、もう片方を満たすために、より多くの制作上の労力を必要とする。選択肢の数を二乗、あるいは三乗しただけの労力がいる。だから自由度を上げることは難しい。

自由意志で選ぶという感覚は、以下の要素からもたらされる。

  • 選択後の展開を想像しながら選べること
  • 葛藤をもたらすこと
  • (あとひとつ、何かが欠けている気がするのだが明確にならない。積極的に選ぼうとする疑いなき意志みたいなものが要る)

想像と葛藤をもたらすには、プレイヤーに選択を迫る前に、目標と十分なヒントを与えておかねばならない。

上の二点を満たしたフリーウェアのRPGで選択肢が広めだと感じるものは私の経験上、シルフェイド幻想譚だけだった。ここにもヒントがありそうだ。マイナー作品ほど選択肢を広げることが難しいと私は考えているのだが、その理由はここでは割愛させていただく。

ゲームは、選択の幅を狭めることを繰り返すことで作るという考え方ができる。コンピュータRPGを作るとき、様々な分岐を想定して多数の選択肢を盛り込みたい気持ちが先走りがちだが、プレイヤーに提示する情報と表現が、作者の想像に追いつかなければ、それらは良い選択肢に結びつかない。制作するとき、想像力より画面と技術と労力の方が貧弱であることを意識したい。

豊富な選択肢を用意することが難しいから自由度を下げる。それをしなければ作者の想像過多となり、自由すぎる空間の中でプレイヤーの選択意識が希薄になる。実感としては、どれでもいいや感が強くなって楽しくない。

選択幅が狭くなり、歴史に名を残せなくなっても、コンテンツが適切な選択肢を提示できれば、プレイヤーがそのゲームを遊ぶ間、興味を失わずに済む。

少数の選択を誘導することに自由を求める

多数を用意するより、ひとつの選択をきちんと誘導していく発想にゲームの自由度を求める解がありそうだ。だから大部分は二択、あるいは一択で済ませてみる。一択肢については「意志決定に選択肢は必要か」(http://d.hatena.ne.jp/accelerator/20080207)で語られていて興味深い*2

生身の人間はゲームキャラクタよりはるかに自由な選択肢を持っているはずなのに、我々は日々、多くの一〜二択肢に遭遇し、少数から選び取ることで人生を充実させている。百貨店の商品をすべて買い取ることができると言われても、実は規模に比してそれほど嬉しくない。恋人に貰った一つのプレゼントの方が貴重だったりする。ゲームプレイ的にもその連続で十分かもしれない。

きっかけ

ゲームプレイヤーの選択意識の必要性については方々で語られているようです。今回のきっかけは「分岐か一本道か」(http://d.hatena.ne.jp/kumashige/20081205/1228403331)です。

*1:専門家ではないので詳しくは個人レベルで調査するに留めて、表向きはさわりだけ触れていきたいと思います

*2:一択は実際にアドベンチャー系ゲームの制作で無意識のうちに使ったことがあって共感しました。機会あらば後日話してみたいと思います