「宝箱を探す」という行為は訪れる幸運を待ちわびる感覚

ウィザードリィ等のRPGで宝箱を開ける瞬間はわくわくする。戦闘後の宝箱が、ただのアイテムドロップであった旧ドラゴンクエストの宝箱ですら、「たからのはこ」を見つけると嬉しくなった。

ここでいう宝箱はランダム生成のものを指す。この手の宝箱は昔から多く見かける。モンスターが固定アイテムをドロップする旧DQすらランダム判定していることに変わりはないし、ウィザードリィの宝箱はもっとランダムである。

運ゲーは嫌われる、と世間で言われるわりに宝箱が楽しみなのは、宝箱がギャンブル感をポジティブに伝える機能になっているからだ。

同じギャンブルでも、RPGの戦闘における「攻撃して当たる・スカる」とか「麻痺呪文を撃って効く・効かない」のギャンブルとは違う。麻痺呪文の失敗はMPとターンの消費という大きめのリスクを背負った上での失敗なので、プレイヤー側の被害感が大きい。戦闘は消費を仕事として行うので、成果がなければプレイヤーは不満を抱く。仕事に失敗の烙印を押されて気分がいいはずがない。

だが宝箱はクジでありボーナスである。プレイヤー側のリスク感が乏しい。「ろくなものが出なくて当たり前」であるところ、時折アタリクジが入っているところにミソがある。

宝箱は時間の経過と共に定期的に訪れ、まれに真の幸運が混じることがある。ひとたびその快感を知ってしまえば、次の幸運を待ちわびることなど些末な忍耐となる。

それはつまり、継続してゲームをプレイするということである。


Elonaを見ていたら、宝箱のような要素がたっぷり詰まっていることに気づいた。定期的に店や牧場を覗く、定期的にダンジョンに潜る、定期的に依頼リストを覗く、定期的に家に帰ると客が来る、それから、もちろん宝箱もある。

この感覚は宝箱以外にも応用が利きそうだが、Elonaはそれをだいぶ実践している。

  • 定期的に触れる権利を与える
  • まれにラッキーを与える
  • 投資を回収するサイクルを与える(その方法に気づかせること)
  • 回収した利益やラッキーで得た利益を、投資や消費に回すことができる

これらの要件を満たすRPGのギャンブルは、ポジティブに受け止めてもらえるギャンブルになるんだと思う。

例えばものすごく単純な例だが、店に入るとき1万円を預けておくルールというのはどうだろう。プレイヤーからみれば、1万円を返してもらうまでゲームをやめるわけにはいかなくなる。店を出る際に、10分の1の確率で5万円になって返って来ることを知っていたら、定期的に行きたくなるに違いない。さらにその店が、定期的に掘り出し物が並ぶ店だったら。

ゲームの中で、交易だとか飼育だとか投資だとかの皮を被っていても、その機能の面白さはこのあたりに根ざしているのだと思う。他にも考えてみたい。