FC版ドラゴンクエストがもたらした宝箱の威力

類似の話が連続しますのう。それだけ面白い話なのです。一人で盛り上がるとはこういうことなんだろうと一人ごちながら。雨が降ってるもんだから調子に乗って書いてる。


FC版「ドラゴンクエスト2〜4」のアイテムドロップ率はとても低く、モンスターからあまり限定アイテムが出ません。率による不安定さを嫌って、あえてモンスタードロップに期待を持たせず、ギャンブルゲームを避けたのかもしれません。

DQはモンスターのドロップ率などより、ダンジョンの宝箱を発見してもらえる率の高さと、発見したときの喜びにいち早く気づいて、使い方を提示してくれたことが重要だと思います。

ファミコンにろくなコンピュータRPGがない時代、「たいまつ」や「レミーラ」の頼りない視界の中で宝箱を見つけたときの喜びたるや、まさにウィザードリィで「?ぶき」や「回復の泉」を見つけた時の喜びに匹敵します(たいしたものは入ってないのに)。あれが序盤から高確率で機能するわけですから、モンスタードロップではなく宝箱を後日にわたって定着させたことは正解だったのだと思います。

DQの宝箱を皮切りに、私はいろいろ考えてみました。

  • 世界樹の迷宮」で、宝箱を見つけても意外に喜びが小さい理由を考えてみたい
  • DQは2,3,4と進むにつれ、宝箱のインパクトが薄まっていたように感じる。同様に理由を考えてみたい
  • DQは2以降「塔」が登場するが、DQ2,3の塔に置かれている宝箱はとても探索意欲をそそられる。理由を考えてみたい
  • DQ4の塔は探索してもなぜかあまり楽しくない。その理由が「世界樹の迷宮2」の探索と共通している気がして気になっている。DQ2,3の良さをなくす何かが現れたのか変質したのか飽きただけか
  • DQシリーズで、店の主人の横に置かれている宝箱の中身が気になって仕方がなかった。一部入手できるものがあり、入手したときはとても嬉しかった
  • FF3は宝箱よりも、宝箱に通じる隠し通路を見つけた瞬間が嬉しかった

コンピュータゲームの宝箱が優秀かどうかを論じる必要はなくて、これらは探索・探検ゲームの性質を考えるヒントになっているのだと思います。性質が分かれば、宝箱以外の仕掛けや演出を思いつくかもしれません。